アナザーノート 大鹿靖明編集委員
超高層タワーマンションによる再開発、児童館の再編、さらには平和・護憲問題――。東京都板橋区の市民運動の集まりで必ず見かける男性がいる。丸い黒縁メガネをかけ、いつもにこにこしている和田悠さん(49)。東京23区の中では市民運動が低調といわれる板橋で、手作りの運動をゼロから作ってきた。
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板橋区に住む立教大の教授だ。文学部教育学科で社会科教育などの授業を受け持ち、「私は赤ちゃん」(岩波新書)で知られる松田道雄を始め、様々な社会運動の研究にも取り組んできた。そんな本職のかたわら、地域の運動のオルガナイザーを務める。
戦後民主主義がもてはやされた時代に鶴見俊輔や日高六郎ら「行動する知識人」が脚光を浴びたが、その伝でいけば、彼は「『板橋で』行動する知識人」である。
高校から「モノ言う生徒」
長く市民運動に取り組んできた杉並区の松尾百合区議(67)は「研究者として社会運動を重視し、自らも運動を実践しているのが和田さんの素晴らしいところです」と評する。理論と実践の両方をやる点で珍しい存在なのである。
1976年生まれで学生運動とは無縁。子どものころ、久米宏さんや筑紫哲也さんがキャスターを務めるニュース番組を見て、政治や国際情勢に関心を持った。問題意識に磨きがかかったのは板橋区内の城北高校に進学してからだった。
進学校には大学の一般教養並みの授業をする先生がまれにいるが、「伊藤信吉論」の著書がある現代文の東谷(とうこく)篤先生(71)が、まさにそうだった。
まず、丸山真男や大江健三郎、藤田省三らの文章を読ませて生徒に感想文を書かせ、各自の感想文をもとに論じ合う。「戦後民主主義や進歩派の洗礼を浴びました」と和田さんは言う。
東谷先生の記憶はそんな受け身の生徒とは違う。
「最初から完全にモノ言う生徒ですよ。普通は教師が生徒から引き出すんだけど、あいつはもう出ちゃっているわけ。言いたいことがあるんです。ある意味、できあがっていた人間です」
和田さんが慶応大法学部政治学科を卒業し大学院に進んだのは、「研究者になりたい」というよりも「知識人になりたい」からだった。「恥ずかしながら、影響を受けた戦後の知識人のようになりたい、と」。専門知よりも教養を、そして社会変革を目指す知識人たらんと欲した。
1960年代ならいざ知らず、時代や状況がすっかり変わるなか、「かなり遅れてきた青年」なのである。
東日本大震災で「目覚めよ」の声
知識人への道のりは経済的には苦しかった。生協職員の妻に支えられ、法政、フェリスなど3大学の非常勤講師を掛け持ちし、月収は10万円に満たない。いわばワーキングプア。2人の男児の子育てに癒やされ、保育園を通じてママ友、パパ友ら地域の人とのつながりができた。
「目覚めよ」と呼ぶ声が聞こえたのが2011年3月、東日本大震災と福島第一原発事故によってだった。高島平で反原発デモを決行し、集ったメンバーを中心に「さようなら原発@板橋ネットワーク」を結成した。
13年に立教大の教職を得て、ワーキングプアを脱出。反原発だけでなく様々な政策課題を取り上げる団体に脱皮しようと、14年に無党派市民の運動体「くらしにデモクラシーを!板橋ネットワーク」(くらデモ)を立ち上げた。団体名に感嘆符をつけたのは、小田実の「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)にあやかったからだった。
たまたま、子どもが通う志村小が志村四中と統合して小中一貫校を作る計画が持ち上がった。真っ先に反対の声を上げたのは子どもたちだった。当時小4の次男たちが20年10月、校内でアンケートをしたところ、反対22に賛成は10だった。
子どもに引っ張られ、自身も関心を持った。中世の城跡という高台にある志村小を「地域の宝」と考え、「くらデモ」も統合反対運動に取り組んだ。統合後は7階建ての校舎を検討していた区教委は、「圧迫感のある校舎は困る」という住民の意向を考慮し、5階建てにすると計画を変更した。運動のささやかな成果だった。
戦後知識人の苦悩、皮膚感覚で
この「くらデモ」が23年、野党各党の関係者を交えた超党派組織として旗揚げしたのが「オール板橋」である。和田さんは「区長選や区議選を見据えています。『現職VS.オール板橋』というよりも、『古い区政VS.区民』の戦いにしたい」と選挙に照準を合わせる。
とはいえ、地域の運動は全共闘世代の「シニア左翼」が携わるケースが少なくない。和田さんと一緒に活動する矢部ふみ子さん(77)は「先輩風を吹かすような人がいて、私は時々、シニア左翼のおじさんを許せないことがあります」と同情する。
和田さんは、大衆を啓蒙(けいもう)する上から目線の知識人とは違い、「民衆的知識人」と自称する。「遅れてきた青年」ゆえ、シニア層に「ああしろ、こうしろ」と言われやすく、自らビラを書きデモや集会の準備もする。下から目線なのだ。
株式投資をしなくても株を論じる人や、生協で購入しなくても生協を研究する教員はいても、「僕は鈍くさくて、自分が経験したことじゃないと対象化できなくて」と和田さん。地域で活動して初めて、戦後の知識人たちの言説や苦悩を皮膚感覚で理解できるようになった。気がつくと、あの鶴見や小田が同僚のように見えてきた。
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