
英ロンドンの中心部、テムズ川南岸に「サウスバンク」と呼ばれるエリアがある。産業革命時には倉庫や工場街として栄え、再開発ラッシュを契機にロンドンを代表する観光スポットへと姿を変えた。
観覧車「ロンドン・アイ」やアート・文化施設、レストラン、カフェなどが川沿いの遊歩道に立ち並び、連日多くの人々を吸い寄せる。橋を渡ったテムズ川北岸は金融街「シティー」へと続く好立地とあって、オフィスビルやタワーマンションも増えてきた。
そんな超一等地に、東京で「丸の内の大家」として知られる三菱地所が攻め込んだ。総事業費は同社の欧州事業として過去最大となる約1600億円。単独で、25階建ての南棟と14階建ての北棟からなる複合ビル「72 Upper Ground(アッパーグラウンド)」を開発する。
72アッパーグラウンドの延べ床面積は約9万1200平方メートルで、中高層階はオフィスフロアとなる。屋上テラスもしつらえ、川沿いの低層階には飲食店などの商業テナントを誘致する計画だ。29年の完成を目指す。
この土地には人気の公開オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」などで知られる英民放ITVの旧本社・スタジオビルが立っていた。19年に同ビルを取得し、25年1月に開発許可が下りた。現在は既存建物の解体工事などを進めている。

プロジェクトの目玉は、敷地の40%を公開空地として一般開放することだ。そして地元ランベス区や国立劇場「ロイヤル・ナショナル・シアター」と連携する。地下1階から地上2階には手ごろな賃料で入居できるアフォーダブルオフィス「London Studios」を設ける。将来有望なクリエーターやアーティストに最大9割引きの賃料で貸し出し、文化、芸術の新たな発信拠点にしたい考えだ。

「ここは、ロンドンにおけるアートの中心といわれる場所。単にオフィスをつくるだけではない。アートの制作から発表まですべてをここでできるようにし、次世代の若い才能を育てていきたい」
三菱地所ロンドン社チーフエグゼクティブの鍵冨真一氏は、この物件の意義をこう語る。
更地となった建設現場では9月25日に起工式が行われ、三菱地所執行役常務の岩瀬正典氏、鈴木浩駐英大使に加え、英政府やロンドン市、ランベス区からの来賓が次々と祝辞を贈った。在英メディアの姿もあり、関心の高さがうかがえた。


丸の内開発の原点はロンドンにあり
三菱地所がロンドンでビジネスを始めたのは、40年前にさかのぼる。
1985年、シティーで「Atlas House(アトラスハウス)」という物件を取得。86年に現地事務所を構えた。三菱地所といえば、丸の内の再開発が有名だが、そのヒントはシティーの街並みにあった。
2003年には、セント・ポール大聖堂に隣接する区画に「Paternoster Square(パタノスター・スクエア)」を完成。23年には、高さ204メートル、地上51階地下3階建ての超高層オフィスビル「8 Bishopsgate(ビショップスゲート)」を開業した。8ビショップスゲートの総事業費は約1140億円だったが、今回の72アッパーグラウンドはその規模を上回る。
三菱地所は目下、ロンドンでもう1つの大規模開発を始動させている。

「ビッグ・ベン」の愛称で知られる鐘がある国会議事堂や、ウェストミンスター寺院に近接する「1 Victoria Street(ビクトリアストリート)」だ。
こちらも三菱地所ロンドン社による単独開発で、約880億円を投じて地上10階、地下3階のオフィスビルに改修する。既存躯体(くたい)や資材を再活用して環境負荷を減らす工法で、28年の完成を見込んでいる。
テムズ川を挟んだサウスバンクとビクトリアストリート。2つのプロジェクトの総事業費は合計で約2480億円となる。だが、三菱地所の開発は超都心部に限らない。ロンドン郊外やスコットランドのグラスゴーでは賃貸住宅にも参入。25年3月には、ロンドン南東部のブロムリーで物流施設を開発すると発表した。
三菱地所の海外事業の営業利益は458億円(25年3月期)。30年度までの長期経営計画で掲げた営業利益900億円の前倒し達成を狙う。欧州事業は総資産の2割余りを占めており、ロンドンを中心に好立地で大規模開発を進め、高い売却益を狙う作戦だ。
三菱地所ロンドン社によると、これまでも開発後にしばらく物件を保有して稼働率を高め、売却して投資回収を図ってきた。今後もその方針は変わらない。同社アソシエイトディレクターの竹山晃平氏は売却時期について、これまでの案件だと「(完成から)3〜5年が目安」とし、サウスバンク(72アッパーグラウンド)についてもタイミングを慎重に探る考えだ。
「火水木」はオフィス回帰強まる
ロンドン都心部の開発は、立地的に職住近接がかなうためマンションの引き合いも強い。それでも三菱地所はオフィスメインの開発とした。オフィス回帰の流れが強まっていると見たからだ。
週明けの月曜日や平日最後の金曜日は戻りがまだ鈍いが、「火、水、木曜に関しては、新型コロナウイルス禍前の90%まで出社率が戻っている」(三菱地所ロンドン社の鍵冨氏)。筆者のオフィスもシティーにあるが、確かに週の中日は"人口"が一気に増えたと感じる。

コロナ禍の在宅勤務を経て、企業側も従業員が出社したくなるオフィスづくりに注力するようになった。ロンドンでは特にハイグレードオフィスの供給が逼迫しており、サウスバンクやビクトリアストリートのような特別感のある場所では、高いオフィス需要が期待できると判断した。
海外での再開発は、日本国内と比べてスムーズにいかない側面もある。開発許可を取るまでに多くのハードルがあり、いざ工事に入っても様々な要因により遅延を重ねる例も珍しくない。
サウスバンクは19年の物件取得から29年の完成予定までちょうど10年。ビクトリアストリートは13年から物件を保有しており、政府系テナントへの一棟貸しを経てようやく大規模改修が始まった。完成までの期間を見据えると実に15年越しの再開発となる。資産の流動性は高くないが、我慢した分、稼働すれば大きな果実を生むに違いない。
丸の内の大家は、ロンドン都心でも大家ぶりを発揮できるか。海外事業のさらなる伸長は、ここロンドンの成否にかかっている。
(日経BPロンドン支局 酒井大輔)
[日経ビジネス電子版 2025年10月8日の記事を再構成]
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