
半導体大手の米インテルと台湾の半導体受託生産の台湾積体電路製造(TSMC)が、共に「優秀サプライヤー」として表彰する中堅企業が新潟市にある。エレクトロニクス関連の素材メーカー、ナミックス(新潟市)だ。
同社は、電子部品や半導体に欠かせない「絶縁材料」と「導電材料」の両方を手掛けている。主力の絶縁材料「アンダーフィル剤」は半導体など向けの液状封止材で、基板とICチップを接着し内部を振動やほこりから守る。同社は液状封止材の先駆けであり、世界で約4割のトップシェアを持つ。スマートフォンなど電子機器の薄型化が進む中で液状封止材のニーズが高まり、最近では画像処理半導体(GPU)や人工知能(AI)関連でも需要が拡大。売上高は2025年3月期に過去最高の1021億円となった。

同社は液状封止材以外でも市場規模が小さいニッチ製品ばかりを手掛けており、そのほとんどがBtoB(企業間取引)だ。このため、一般的な知名度はそれほど高くないが、技術レベルは折り紙付きだ。インテルが25年4月に37社を、TSMCが24年12月に27社を優秀サプライヤーに選んだ際、ナミックスはその両方に名を連ねた。グローバルに約700社の取引先を持ち、売上高の約9割が海外だ。
日本海近くに未来的な建物
上越新幹線のJR新潟駅から車でバイパス道路を経由して田園風景を約25分。日本海に近い工業団地の一角に、曲線が美しくガラスを多用した未来的な建物がある。同社の研究開発拠点「ナミックステクノコア」だ。
設計は「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞した山本理顕氏で、同施設もBCS賞(建築業協会賞)を受けた。ナミックスの小田嶋壽信社長は「新しいものを生み出す当社の姿勢と重なる」と話す。独創的なデザインは国内外から訪問する企業や関係者にインパクトを与えるだけでなく採用活動にもプラスで、見学に訪れて「ここで働きたい」と入社した人もいるという。
テクノコアの在り方は、未来志向で技術開発に積極的に取り組む同社の姿勢を映す。同社は約800人の国内社員のうちエンジニアが4分の1を占め、このうち2〜3割が女性社員だ。毎年売上高の1割ほどを研究開発費に充て、施設内に分析装置や測定器など高度な機器を備え、試作ラインも持つ。年300件強の開発案件に取り組み、3割ほどを製品化する。

同社の開発の特徴はニッチ製品をとことん磨く点で、これが強さに直結する。例えば、樹脂や硬化剤、添加剤など数十種類の原料を混ぜてつくる液状封止材。取引先ごとに基板の大きさや特性、ICチップとの隙間などによって要望が異なる。同社は取引先と密接に連携しながら液状封止材が固まる温度や粘り気、振動や湿気への強さなどを変えながら製品を設計する。ほかの製品も同じで、すべて取引先ごとの細かなニーズに応じたオーダーメードで提供する。各製品の供給量は、超大手メーカーに納める場合でも月200〜300kgにとどまる。
学会でトレンドつかみ人脈も
多品種の製品を開発し少量生産をするため、製品ごとの市場規模は小さく、手ごわいライバルとなる大手はあまり入ってこない。一方、同社は小回りが利く強みを生かし、少ない売り上げでも採算を取れる体制を磨く。そのためにコストダウンは重要で、生産面では欠陥を出さない「ゼロディフェクト」活動を進め、出荷検査も独自項目を定めて取り組む。
エレクトロニクス業界は浮き沈みがあり、同社の売上高はITバブル崩壊で半減し、リーマン・ショックで3割近く落ち込んだ。しかし、ニッチ需要を集めていたことがリスク分散につながり、赤字に陥らなかった。その戦略は評価が高く、14年と20年には経済産業省の「グローバルニッチトップ企業 100選」に選定された。
新たなニッチの開拓や製品の改良のために、同社の営業担当者は新潟からどこへでもすぐに飛んでいく。韓国、台湾、中国大陸は一時、社内の手続きでは国内出張扱いとしていたほどだ。開発担当者の同行も多く、「顧客密着」で取引先のニーズを引き出しながら適切な材料を開発し供給する。
海外の営業拠点も整備しており、小田嶋氏は「取引先とのコミュニケーションから次のビジネスを生み出すサイクルが企業文化となっている」と話す。開発活動も既存製品の変更が多く、1〜2年サイクルで進む。
ただ、エレクトロニクス業界は技術が日進月歩なので、同社は7〜8年後を見据えた手も打つ。新分野や新技術のヒントをつかむために同社は開発担当の社員が国内外の学会や展示会に頻繁に参加。技術的なトレンドをつかむと同時に一線で活躍するキーパーソンとのネットワークづくりを進める。
同社と交流がある慶応義塾大学の石榑(いしぐれ)崇明教授は「ナミックスの社員はフットワークが軽く、業界の動向についての嗅覚が鋭く、それを支える技術力もある」と話す。中長期の開発案件は取引先の事情などで実を結ばないケースもあるが、時代の趨勢を読む力を磨きながら小回りの利く経営によって乗り切る。

ペンキ塗料から電子部品へ
ナミックスの創業者は小田嶋氏の祖父で、1946年に食品販売などから事業をスタートした。当時、塗料業界が輸入原料の確保に苦労していると知った祖父はものづくりに参入し、海産資源などを原料にペンキ塗料を開発。地場の家具会社などに販売して業績を伸ばした。しかし、大手メーカーの化学塗料が広がる中で業況は数年で厳しくなった。

そんなときたまたま知ったのが、本格化しつつあったエレクトロニクス業界の「電子塗料」だった。祖父は「同じ塗料ならば自分たちもできる」と考えたが、求められたのは電子塗料と呼ばれた絶縁材料であり、ペンキ塗料と全く違う世界だった。それでも電機メーカーに日参して基本から技術を身に付け、58年に国産初のセラミックコンデンサー用の防湿絶縁材料を製品化。その後、「絶縁体も導電体も電子部品には違いないというくらいの感覚」で技術的に全く違う導電材料にも取り組んだ。高度成長の熱気の中、手探りで先端の電子部品にたどり着いた。

80年ごろは一般塗料事業が売上高の半分を占めていたが、小田嶋氏の父は電子部品に集中するため一般塗料からの撤退を決断。ミュージシャンを目指し米国に留学したこともあった父は豊かな米国に憧れた。その象徴が電化製品であり、先端の電子部材を突き詰めていくことに会社の将来があると考えた。80年代には液状封止材を開発。大卒者を積極的に採用し、カスタムメードで多品種少量生産をするビジネスモデルが次第にできた。90年代後半に世界に目を向け、父は流ちょうな英語を生かし取引先との関係構築を進めた。
小田嶋氏は入社後すぐに父と事業承継の計画を練り、ほぼそれに従いながらキャリアを重ね2006年に3代目社長に就任。祖父と父の「新しいことに取り組む」姿勢を引き継ぎつつ、コスト構造見直しや製品ごとのビジネスプランの強化などに取り組んだ結果、就任後、売上高を5倍にした。同社は26年に80周年を迎える。
開発の総本山であるテクノコアから車で十数分。バイパスのインターチェンジのそばにある本社は工場も併設する。総工費約200億円をかけて進めた本社再編プロジェクトは23年に完了。同社の生産能力は従来の1.7倍となった。苦しい時期も会社を支えてくれた地域への思いは強く、国内の製造拠点は創業地である新潟に集中する。
人材面も「オール新潟」
人材面も「オール新潟」で臨む。人手不足が深刻化する中、素材関連の人材も全国的に引く手あまたの状況が続く。周囲に半導体関連の企業が少ない新潟ではエンジニアを集めるのは簡単ではないが、同社は新卒の場合、地元の新潟大学や長岡技術科学大学の学生や、新潟出身のUターン学生を中心に採用する。「配偶者が新潟出身」のケースなども含めれば、「新潟にゆかりがある」人の採用が7割を占める。「こつこつと勤勉に取り組む姿勢がこの事業に合っている」と小田嶋氏は話す。ビジネスの大半が海外のため社員は入社後、最低2年は週1〜2回の英語レッスンを受講する。社内には習熟度別に10ほどのクラスがある。
社員が暮らす地元の経済を活性化する意識も強く、新潟市の繁華街、古町地区の街づくり会社に参加する。新潟空港を拠点とする地域航空会社トキエア(新潟市)の経営安定化をサポートし、地元プロサッカーチーム支援も続ける。
スピード優先、上場は考えず
一方でグローバルへの目配りは怠らない。東日本大震災後、事業継続計画(BCP)として13年に半導体産業が集積する台湾に本格的な工場を開設。また世界的な企業との取引は開発姿勢だけでなく経営姿勢も問われるため、企業の社会的責任(CSR)にも力を入れる。
小田嶋氏が新潟にいるのは1年の3分の1ほど。残りは国内外を駆け回り、自ら学会などにも出向く。スケジュールはすべて社員に公開し、新潟にいるときは居室のドアを開けているため、空いた時間に若い社員が直接相談に来る場面も多い。小回りが利く良さや、開発・投資スピードを維持する狙いから上場は考えていない。
業績は今期も好調で為替の大幅な変動がなければ売上高は過去最高を更新しそうだ。小田嶋氏は「何千億円企業にしたいといった目標はないが、継続的に利益を出せる会社であり続けたい。そのために業界トレンドを理解し、お客さまのニーズに応えるトップの技術を積み重ねる」と話す。
ナミックス小田嶋壽信社長に聞く全社員で宴会、一体感高め仕事を開拓
当社の競合は大手メーカーですが、1製品当たりのビジネスのボリュームが当社とは違います。当社の場合、売り上げ規模が大きい製品だと年間100億円ほどのものもありますが、小さい製品では数億円、数千万円というものがあります。
現在、売上高が大きい製品も最初から大きいわけではありません。小さい取引から始めて顧客と育ててきた製品もよくあります。当社は、将来の市場拡大が期待できる分野だと見れば、数百万円レベルの案件でも引き受けます。大手が同じやり方を実現しようとしたら大変だと思います。

その分、どんな分野や製品が伸びるかの見極めが大切になりますが、経営者だからといって私の一存で決めることはありません。技術の責任者らを交えたミーティングなどで様々な話をしながら決定しています。
本社は新潟にありますが、新潟だけにとどまっていては新しい仕事は開拓できません。このため、どんどん社外に行くことが、社員にとっては当たり前になっています。
例えば、ほかの化学メーカーではエンジニアが取引先を訪問するのはかなり経験を積んでからかもしれませんが、当社では入社から3〜4年目もすれば1人で取引先を訪問することが多くなります。取引先には超大手企業もありますが「良いものをつくりたい」という思いでは一致していますから、密接なコミュニケーションの中で製品開発を進めています。
社内の一体感を高めるため年1回、経営計画発表会を開き、原則として全社員に参加してもらっています。私や各部門の責任者が方針などを説明し、その後は全社員での宴会となり、本当にいろいろな話をします。
新型コロナウイルス禍前までは幹部懇親会も開いており、ここには配偶者も参加してもらっていました。しっかり仕事ができるのは家庭の支えがあってこそなので、家族に会社の状態を知ってもらうことも大切です。家族同士のつながりが深まる利点もあったので、また近いうちに再開したいと思っています。(談)
(日経ビジネス シニアエディター 中沢康彦)
[日経ビジネス電子版 2025年10月30日の記事を再構成]
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