
マネジメント職の中途採用の選考に応募してきた求職者との面接でのこと。履歴書には「大型プロジェクトのリーダーを務め、全社的な業績向上に貢献した」など輝かしい経歴が書かれている。だが、面接で細かな内容を質問すると受け答えがどうも歯切れ悪い。求職者の前職は、たまたま面接担当者の友人の勤め先だった。そこでその人物について聞いてみると「リーダーではなく単なるメンバーだったよ」との返事が来た――。
雇用の流動性が高まり転職が珍しくなくなった近年、こうした経歴詐称に遭ったことがある人事関係者は少なくないだろう。人材サービス大手のエンが2024年7月に行った調査によると、応募者の性格や前職での振る舞いなどを調べる「レファレンスチェック」によって、職務経歴や実績の虚偽が見つかったという企業は60%(回答者200人)に上った。
紛争や経歴を秘匿
経歴詐称による内定取り消しの有効性を巡って大手企業と求職者が裁判で争った事例が注目を浴びている。24年7月、東京地裁は中途採用で採用予定だった男性(以下、A氏)の虚偽の経歴申告が発覚したことを理由とした、企業側の内定取り消しを有効とする判決を下した。同年末の控訴審(東京高裁)も内定取り消しを有効と認めている。A氏から内定取り消しの無効などを訴えられ、法廷で争ったのはコンサルティング大手のアクセンチュア日本法人だった。
ことのあらましはこうだ。判決文によると、A氏は22年、同社の中途採用の求人に応募し2度の面接を経て、同年5月末に雇用条件などが通知されたオファーレターと雇用契約書が送付された。A氏は雇用条件などを承諾し採用内定を受けた。
ところが、同社が雇用の条件としていたバックグラウンドチェックを行った結果、思わぬ事実が明らかとなった。A氏は自身の経歴を偽って申告していたのだ。A氏は選考時に「20年6月以降、個人事業主として企業と契約」と申告していた。だが、調査の結果は21年6月〜11月まで有期雇用で企業に勤務、21年12月〜22年2月まではブランク、22年3月は別の企業で有期雇用として勤務、というものだった。
A氏はこれら有期雇用となっていた2社からはコミュニケーション不足や対人関係のトラブルに起因する雇い止めや解雇をされており、弁護士を通じてこれらの企業と交渉したり、訴訟を起こしたりしていた。
A氏側へのヒアリングなどを実施した上でアクセンチュア側は内定取り消しを決定。「故意の虚偽申告を行っていたことは明らか」「当社の求める高いコンプライアンス意識を保持しているとは認められず、雇用を開始できないとの結論に達した」などとA氏に通知した。

A氏側はこれに対し、アクセンチュアを相手取り内定取り消しの無効や慰謝料を求めて東京地裁に訴えた。裁判でA氏側は職歴については「内定前に質問を受けていればバックグラウンドチェック時と同様に明確に答えたはず」と主張。職務の遂行能力については「面接で確認を受けており、職務能力は採用内定を受けられる水準であったことは間違いない」などと訴えた。雇い止めや解雇などで紛争になっていた件について未記載であったことについては「自分から、よく分からない理由で解雇されましたなんて言えない」と法廷で語っている。
裁判所はA氏が職務経歴書の提出に当たって「虚偽や隠れた事実はない」との免責事項の確認に「はい」と回答していた事実などを踏まえ、A氏の主張を「(2社との雇用関係の秘匿は)虚偽の申告であり、背信行為」とした。そしてA氏の行いについて「円滑な相互信頼関係を維持できる性格を欠き、企業内にとどめておくことができないほどの不正義性が認められる」と断じた。その上でアクセンチュア側の内定取り消しの判断を有効と認めている。判決では履歴書の半分近くが経歴詐称だったと認められ、東京地裁は「履歴書や職務経歴書の提出意義をなくさせるものだ」と言い切った。
裁判ではA氏側が主張した職務の遂行能力についても、会社側が期待するスキルにはコミュニケーション能力や適応性、協調性なども含まれていたと認められた。その上で「虚偽申告が職務能力の点でA氏の評価を誤らせるものでなくとも、内容やその動機などからうかがえる不正義性に関し、会社側がA氏を従業員としての適格性に欠けると判断したことは不合理ではない」とした。アクセンチュア側は日経ビジネスの取材に対し「個別の裁判に関するコメントは控える。今後も適正なプロセスに基づいた採用活動を継続する」(広報担当者)としている。
経歴調査は最後の防波堤
アクセンチュアのケースの学びはバックグラウンドチェックの重要性だ。内定、試用期間、本採用とステージが進むほどに解雇など、労働契約の解消は難しくなる。内定の取り消しも容易ではないが、「業歴や職歴などの詐称は裁判所も重く見る傾向がある」(労働訴訟に詳しい岩本充史弁護士)。
アクセンチュアはオファーレター上で「雇用の条件」として経歴調査への協力を条件と明示していた。裁判所はこのことについて「真実を秘匿して経歴詐称が判明した場合は、雇用契約を解約しうる旨の解約権が留保されたものと解するのが相当」としている。つまり、アクセンチュアはこの経歴調査によって採用後のトラブルを避けられたといえる。
バックグラウンドチェックには本人の同意が必要だ。他社に就業しつつ転職活動をしている人物の場合は難しいケースもあるだろうが、少なくとも退職済みの企業における調査には協力を求めた方がリスクは減らせる。
こうした対応を怠った場合、内定通知後に経歴に疑念を持ってしまっても「時既に遅し」だ。そもそも、内定は一度出してしまうと、容易には取り消せない。内定は「始期付解約権留保付労働契約」といって、働き始める時期と入社までに企業が解約権を保有している労働契約を結んでいる状態だ。内定取り消しのハードルは高いと言っていい。「内定時に知ることができず、また知ることが期待できないような事実に基づく」もので、それを理由に採用内定を取り消すことが「解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的であり、社会通念上相当と認められる場合」にのみ有効とされる。
例えば19年、東京地裁でこんな判例があった。旅行会社B社が中途採用の内定者の前職での実績を「詐称」と判断して内定を取り消した事案で、地裁は無効との判決を下した。経歴の詐称が裁判所に認められなかったことに加え、判決では企業側が内定通知後にバックグラウンドチェックを行い、内定を取り消した経緯について「内定前に実施していれば容易に判明し得た事情に基づいて、取り消しを行ったと評価されてもやむを得ない」と断じている。
B社の事例は内定通知前の調査の重要性を示している。他方で、経歴調査に積極的な企業はまだ少数派のようだ。前述のエンの調査(回答者数1089人)によると、バックグラウンドチェックを導入している企業は17.4%にとどまっている。
岩本弁護士は経歴詐称による採用トラブルを避けるために企業側が心がけるべきポイントを3つ挙げる。1つめは面接時の経歴確認。例えば実績については「具体的な成果や過程を深掘りすること」(岩本弁護士)。2つめはこうした面接時のやりとりの録音や記録だ。これらは訴訟に発展した際の立証材料となり得る。3つめはアクセンチュアのように内定通知前にバックグラウンドチェックへの協力の同意を得ること。応募者本人の同意がなければ在籍経験のある企業は調査への協力が難しくなるためだ。職務経歴書の提出時に「内容に虚偽がないこと」「前職への経歴確認」などを記した同意書へのサインを求めることも有効だ。

中途採用社員とはいえ、無期雇用であれば億単位の人的資本投資となりうる。採用の可否が企業側の判断に委ねられている面接の段階でチェックを徹底しておくことは、採用の失敗を避けるためにも不可欠だ。「職務経歴書の内容をうのみにする性善説はもはや通用しない」(岩本弁護士)ということを経営者は肝に銘じておくべきだろう。
(日経ビジネス 神田啓晴)
[日経ビジネス電子版 2025年10月29日の記事を再構成]
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