
最低限の仕事しかしない「静かな退職」。2020年代に入ってから米国で言葉が広まり、日本でも次第に知られるようになってきた。「個人の生活を優先」するライフスタイルとして肯定的に捉えられることもあるが、企業としては生産性を落とすことになりかねない大きな課題だ。手をこまぬいてはいられない。
周囲は「仕事の量が増えた」
リクルートマネジメントソリューションズ(東京・港)が静かな退職に関する分析を進めており、25年9月には調査結果(「働く人の本音調査2025」)を公表している。これによれば、「自分の同僚や上司に『静かな退職』をしている人がいると感じる」回答者の割合は「当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」を合わせると27.7%となり、4人に1人が職場でその存在を感じていることが分かった。

静かな退職の社員が増えれば、企業は生産性を落とすことになりかねないが、問題はそれだけにとどまらない。同調査によると、「自分の同僚や上司に『静かな退職』をしている人がいる」と感じている人は、そうでない人に比べると「幸福度」が低い。また「静かな退職」をしている人がいる場合、「不利益を被ったと感じたことがある」が「当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」を合わせると5割を超えている。具体的には「仕事の量が増えた」「モチベーションが下がった」などを挙げる人が多かった。


社員の「静かな退職」が職場全体にマイナスの影響を与える可能性があることを調査は示している。「日本は欧米諸国と比べると、従業員一人ひとりの業務内容が明確に定められていない場合が多い。このため、静かな退職が生じると、周囲の従業員にしわ寄せがいきやすい構造と考えられる」。調査を担当したリクルートマネジメントソリューションズの大庭りり子研究員はこう分析する。
企業は職場全体のパフォーマンスを守るためにも静かな退職には気を配るべきだろう。この課題のみに焦点を絞った施策を打ち出す会社は現状では少ない。ただ経営学の研究からは、打ち手を考える上でのヒントも示されている。
静かな退職は社員のパフォーマンスやモチベーション、エンゲージメント(仕事への意欲)などが関わっていると考えられる。研究によれば、社員はパフォーマンスが上がることによって職務満足度が高まり、その結果としてモチベーションやエンゲージメントが上がることが分かっている。つまり重要なのは、パフォーマンスの向上を背景とした職務満足度の向上にある。「企業はやみくもにモチベーションやエンゲージメントの改善に取り組むのではなく、社員の小さな成功をサポートするなど、まずはパフォーマンス向上を目指すべきだ。その積み重ねが満足度やモチベーション、エンゲージメントを高め、結果として静かな退職の防止につながるだろう」。武蔵野大学の宍戸拓人准教授はこう指摘する。
「おせっかいな社員」が巻き込む
パフォーマンスや職務満足度の向上を目指した取り組みについては先行事例をいくつか挙げることができる。たとえば25年4〜6月期に売上高純利益率で首位(500種平均株価採用銘柄の3月期決算企業、金融などを除く)に立ったオービック。同社は人材の自前主義を掲げており、新卒から育てた社員の生産性の高さで知られている。自社に合った働き方の社員を確保するため、面接に時間をかけて学生を選考するなど採用には力を入れてきた。それでも入社後に静かな退職状態となる社員は一定数いるという。

そこで同社が取り組んでいるのが「ワーキング」と呼ぶカイゼン活動だ。課題を見つけた社員が組織の枠を超えてグループを自由に立ち上げて解決を図ることができる。これが静かな退職の社員が再び活性化する手掛かりにもなるという。橘昇一社長は「いい意味でおせっかいな社員が多く、失敗談なども交えて素直に話すうちに静かな退職だった社員もいろいろなヒントをつかむ。そして、小さな成功体験の中でモチベーションなどが高まる」と話す。ここ数年でワーキングの中心メンバーの若返りが進み、活動時間も2年ほどで1.5倍に増加した。活動が活発化する中で、静かな退職から脱するケースが多く見られるという。
大塚商会の場合、生産性を高めるシステムの整備が静かな退職対策にも寄与しているという。カギになっているのが、顧客管理と営業支援を一体化した独自システム「セールス・プロセス・リエンジニアリング(SPR)」だ。営業担当者にその日の訪問先を提案する機能などを搭載している。25年1月からは、営業成績上位の社員がこのシステムをどう使っているのか、テンプレートとして示せるようにした。成果がなかなか上がらず、静かな退職になりかけた社員がテンプレートを参照することで、成績上位者と同じ発想で動きやすくなるという。大塚裕司社長は「成果を上げてもらえば社員のモチベーションにつながる。それが結果として静かな退職の防止にもなると実感している」と話す。

「静かな退職者が社内にいて問題になっているとは考えていない。ただ(キャリアに対する)本人の期待と現状との間にギャップを抱える社員がいるという認識はある」。こう話すのは森永製菓の小林聖司・人事部人材開発グループマネジャーだ。そこで同社は社員のキャリア自律に向けた取り組みに力を入れる。評価制度の見直しを進め、世代別にも手を打つ。若手に対してはキャリアについてのレクチャーやeラーニングを展開。ミドル社員向けには「対話型キャリアワークショップ」、シニア社員向けに「アンラーニング研修」などを実施する。社内のイントラネット「CO-MORI CAMPUS(コモリキャンパス)」では、2年ほど前からトップが自ら語り、部署ごとの活動や研究内容なども紹介する。社内の多様な仕事や部署に興味を持ってもらうきっかけにしているという。

いかに社員にきめ細かく配慮できるか、その意欲を刺激できるか。3社の事例を見る限り、静かな退職を防ぐポイントはここにありそうだ。企業が社員一人ひとりの「小さな成功」に目配りするハードルは低いとは言えないが、工夫次第でその努力を認めたり、共有したりすることはできる。その仕組み作りに注力する姿勢を示すことで、社員の心境にも変化が生じる可能性はある。
(日経ビジネス シニアエディター 中沢康彦)
[日経ビジネス電子版 2025年10月31日の記事を再構成]
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