
今から40年前の1985年8月12日午後6時56分、お盆の帰省客らを乗せた羽田発伊丹行き日本航空123便が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、520人の命が突如として奪われました。航空史上、単独機として世界最悪の惨事はなぜ、どのようにして起きたのでしょうか。教訓を継承していくことは空の安全の確保に欠かせません。関連記事をまとめました。
世界最悪の事故はどのようにして起きたのか、航跡をたどる

日航123便に異常が発生したのは離陸から12分後。垂直尾翼が吹き飛び、操縦不能に陥った機体は激しいダッチロールと上下動を繰り返し、約30分後に墜落しました。航空事故調査委員会(当時)の調査報告書をもとに、機体の状況や機長らのやりとりを時系列で整理し、ビジュアルデータ化しました。
- 御巣鷹の日航ジャンボ機墜落事故、航跡と機長らの会話をたどる
御巣鷹の悲劇、もう二度と 関係者インタビュー

事故で亡くなった故坂本九さんの長女で歌手の大島花子さん、現場となった「御巣鷹の尾根」に登り続けてきたノンフィクション作家の柳田邦男さん、事故原因を分析し「失敗学」の研究を続ける東京大名誉教授の中尾政之さんに話を聞きました。
- 日航機墜落40年「命の尊さ歌い続ける」 故坂本九さん長女・大島花子さん
当時知るJAL社員、17人に 教訓どう継承?

未曽有の事故は航空業界全体が空の安全のあり方を見直す契機となりました。この40年、対策面や技術力で大きな進展がみられた一方で、日航社内で当時から在籍する社員は17人まで減りました。将来「ゼロ」となる日も遠くないなか、教訓をどのようにして継承していくのか。模索が続いています。
- 日航機墜落40年、当時知る社員17人に 「ゼロ」目前に教訓どう継承
事故原因、詳しい理由に踏み込めず 当時の事故調査官に聞く

事故機は7年前に尻もち事故を起こし、米ボーイング社が後部圧力隔壁の修理を担いました。運輸省航空事故調査委員会(当時)の報告書は、この時の修理ミスが墜落事故の原因になったと結論づけましたが、詳細な理由までは踏み込めませんでした。それはなぜだったのでしょうか。事故調査官の一人として究明にあたった斉藤孝一さん(80)に話を聞きました。
- 日航ジャンボ機墜落40年、原因究明に壁「歯がゆさ今も」 元調査官
事故の記憶、生成AIアニメで次世代に 40代遺族の挑戦

事故の教訓を次世代に継承しようと、幼いころに父を失った遺族の男性が生成AI(人工知能)を駆使した短編アニメの発信をSNSで始めました。惨事を知らない世代が増えるなか「テクノロジーの力で記憶の風化を防ぎたい」と話しています。
- 日航機墜落事故の記憶、生成AIアニメで次世代に 40代遺族が挑む
文集・絵本に願い乗せ 「命の大切さ次世代に」

この夏、事故から40年となるのを前に、遺族らが文集や絵本を相次ぎ出版しました。「悲劇を繰り返さない」「命の大切さを伝えていきたい」。惨事の記憶を風化させることなく次世代へと継承していきたいという強い願いがにじみます。
- 日航機墜落40年、遺族ら文集・絵本に願い乗せ 「命の大切さ次世代に」

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。