

「この工場は、世界中の産業を支える重要な役目を果たす。世界最高水準の装置を世界中に届けたい」
キヤノンが宇都宮市の清原工業団地の自社工場敷地内に建設した新製造棟で7月30日に催した開所式。御手洗冨士夫会長兼社長最高経営責任者(CEO)は力を込めてこう挨拶した。
新工場では半導体を作る「後工程」と呼ばれる工程に使う露光装置の中核部品などを製造する。半導体製造装置の新工場は2004年8月以来、21年ぶりになる。約500億円を投じ、延べ床面積約6万7500平方メートルの広大な工場を建設し、生産量を現状の1.5倍に引き上げるという。
キヤノンが今、国内工場への大型投資に踏み切ったのは、世界中で生成AI(人工知能)が急激に普及し、後工程向けの露光装置需要が急拡大してきたためだ。「露光装置全体で24年には一気に233台、25年も255台の見込みと、急増している」(キヤノンで半導体機器事業部長を務める三浦聖也執行役員)
特に生成AI向けで複数の半導体を組み合わせて1つの大型チップのように動かして高機能化する先端パッケージ向けの露光装置の販売は20〜25年の間に4倍に伸び、業績をけん引しているという。先端パッケージ向けに限れば、キヤノンの世界シェアは台数ベースで100%近いともいわれ、圧倒的な強みを持っている。新工場は、その優位性をさらに盤石にするためのものだ。

キヤノンはもともと、半導体の回路を形成する「前工程」向けの露光装置における有力企業だった。だが、今や最先端半導体の製造に欠かせない「極端紫外線(EUV)」を使った露光装置の開発競争で、09年ごろからオランダASMLホールディングの後塵(こうじん)を拝するようになり、その市場からは撤退した。
それでも、光の波長の長い「i線」や「フッ化クリプトン(Krf)」などを使った露光装置は、車載用などのパワー半導体やメモリーなど、より線幅の広い製品分野では依然、需要があり、そこに集中することで生き残ってきた。
その粘りが今、実った。半導体はこれまで前工程の微細化で、その性能を高めてきたが、次第に限界に近づいてきたといわれる。そこで進化したのが、画像処理半導体(GPU)や、メモリーを多数重ねた広帯域メモリー(HBM)など複数の半導体をつなぐ先端パッケージだ。キヤノンの露光装置は、そのつなぎ役になる中間基板(インターポーザー)に回路を形成するために使われている。
キヤノンが席巻する市場にかつてのライバル・ニコンが名乗り
だが、キヤノンから市場を奪取すべく新たな勢力が新技術を武器に名乗りを上げている。
「新型露光装置の受注を25年7月から始める」――。かつてキヤノンと前工程の露光装置で激しく競い合ったニコンが7月、こう発表したことは業界内で大きな話題となった。
注目を集めたのは、ニコンがデジタル露光と呼ぶ、キヤノンとは別方式の技術を採用したことだった。キヤノンの露光装置は、半導体の回路パターンを描画したフォトマスクという部材に光源からの光を通し、ウエハーなどへと回路を転写する、投影露光という技術を採用している。前工程で使われる露光装置と同じ方式だ。

これに対してニコンのデジタル露光は一般的にはダイレクト露光と称される技術で、フォトマスクを使わず、回路パターンのCAD(コンピューターによる設計)データを利用して、レーザー光などで直接基板に描画する。フォトマスクの作成が不要でコストを抑えられる上に、600ミリ角などの大型基板に回路を形成しやすい利点があるという。
ニコンは、得意とするフラットパネルディスプレー(FPD)で培った複数の投影レンズの制御技術を生かし、「線幅1マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の高解像度で微細な回路作成もできるようにした」(水野仁・精機事業本部次世代事業開発統括部第二開発課長)。
ダイレクト露光では、ウシオ電機も米半導体製造装置メーカー、アプライドマテリアルと23年末に提携し、製品を26年3月期末までに投入する予定だ。前工程の半導体洗浄装置大手、SCREENホールディングスも新製品を年内に発売する計画。
非上場ながらスマートフォンの基板向けをはじめ、長年ダイレクト露光装置を手がけてきたオーク製作所(東京都町田市)も、後工程の先端パッケージ市場の拡大にさらに注力する構えだ。

キヤノンの牙城を崩そうと各社が有望市場に参入し、混戦模様を呈してきた。
今後の競争の鍵は、先端半導体の高機能化の動きにどの企業がいち早く対応できるかだ。新興のダイレクト露光勢は、キヤノンの採用する投影露光は大型基板への対応に課題がある、と自陣営の優位性を訴える。
投影露光は転写できる回路の大きさが限られるため、大型基板の場合には転写を繰り返す必要があるが、その際に転写面のつなぎ部分の回路にずれが生じる可能性があるという。「ダイレクト露光には、ずれの問題がない上にフォトマスクを使わないのでコストも低くなる」(青木一也・ウシオ電機グローバルセールスディビジョン部門次長)
キヤノン「生産性は投影露光の方が高い」と譲らず
これに対して、キヤノンは「(ずれの問題を)補正する位置合わせの機能は高めており、問題はない。一方、より大きな基板に回路を形成するスピード、生産性は投影露光の方が高い」(キヤノンの三浦氏)と譲らない。
基板が大型化すると、「基板自体にそりやひずみが生じやすく、微細な回路形成がさらに難しくなる」(オーク製作所の橋本典夫会長CEO)といった両陣営にとって共通の課題もまだ残る。生成AIが爆発的に拡大する中で進化を続ける半導体。それに伴って製造面で次々と浮上する難題をどの企業が早く解決できるか。技術競争はこの先、一段と激しさを増しそうだ。
(経済ジャーナリスト 田村賢司)
[日経ビジネス電子版 2025年8月12日の記事を再構成]
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