アジア・太平洋戦争中、旧日本軍の占領直後のシンガポールで父を亡くした沈素菲(シムスーウィー)さん(90)が6日、横浜市であった集会にオンラインで参加し、当時を証言した。日本軍による華僑虐殺事件で亡くなったとみられ、「この不幸を繰り返さないために、次世代に伝えてほしい」と語った。
集会での沈さんの証言やシンガポール国立博物館の証言記録によると、シンガポール陥落(1942年2月)の3日後、沈さん一家が住んでいたリバー・バレー地区の住人が日本軍によって戸外に集められた。女性や子どもだけ家に戻されたという。
何日も待ったが、父は帰らなかった。ある隣人は、他の男性たちと別の場所に連行されるのを見たと沈さんに伝えたという。
沈さんは、父が「華僑粛清事件」で殺害されたと考えている。日本軍は占領直後、マレー半島各地で「抗日分子」を選別し、裁判なしに多数を処刑していた。正確な犠牲者数は分からないが、日本側の報告で5千人、シンガポールでは4万~5万人とも言われる。
この日会場で講演したシンガポールの研究者林少彬(リムシャオビン)さん(68)によると、インテリ風に見えるというだけで「抗日」とされたという証言もある。沈さんの父は銀行職員だった。
来年2月で、事件から84年となる。沈さんは集会で「たくさんの家庭が壊され、とても苦しい時期だった。80年以上経った今でも、思い出すと胸が痛くて仕方がない。悲劇が二度と起こらないよう、伝えてほしい」と語った。
集会を主催したのは、市民団体「アジア・フォーラム横浜」(吉池俊子代表)。94年から毎年、アジア各国の戦争被害者を招き、証言を通して戦時中の日本の加害責任を考える集会を続けている。
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