無人機は虫のように飛び回っていた
キーウでは、防空警報が毎日のように出されている。そのたびにサイレンが鳴る。当然と言えば当然だが、夜中であっても鳴り響く。

警報はいつ出るのかも、いつ解除されるのかもわからない。解除されたと思ったら、またすぐに警報が出されることもあって、精神的なストレスもたまる。
最近の警報の主な原因は、無人機(ドローン)を使った攻撃だ。7月にはひと晩で700機を超える無人機が飛んできた。無人機と言っても、翼が生えたミサイルのような見た目のものだ。

キーウに住むオレーナ・ベセロワさん(59)は無人機攻撃で自宅が被害を受けたひとりだ。自宅のアパートを訪ねると、窓ガラスは割れていて、雨風を防ぐため透明のシートで覆われたまま。無人機の破片や爆風によるものだという。

オレーナさん
「ヒューという音がしたと思ったら、大きな爆発があった。とても近くで、頭の中に響くような感じがした」
オレーナさんが嫌悪感を示すのが、ジーと響き続ける無人機が飛行する音だ。
「とても不快な音。攻撃があった時、無人機は虫のように飛び回っていた」
攻撃のあとも、オレーナさんは大切な書類やパスポート、パソコンなどを、いつでも持ち出せるよう常にまとめている。警報が出ると、それらをもって、飼っている犬とネコを連れ、シェルターに避難する。
アパートの地下にあるシェルターは天井も低く、長時間にわたって快適に過ごせるとは言いがたい。深夜に撮影された動画をみると、多くの人が疲れた表情で、不安からか子どもが泣き叫んでいる声も聞こえた。

戦時下の日常と拭えない不安
キーウの街には、誰でも利用できる公共のシェルターがあちこちにある。地下鉄の駅もそのひとつだ。
8月4日の午前中、私たちは、キーウの街から中継をするための準備をしていた。そこへ突然サイレンが鳴り始めた。中継20分前というタイミングだ。やむなく、中継場所を地下鉄の駅のホームに変更することになった。
地下鉄のホームは地下50メートルほどの深い場所にある。すでに避難してきている人たちがいた。

多くは、壁に寄りかかり、一心にスマホを見ていた。地上の状況はわからない。ミサイルや無人機は実際に飛んできたのか、警報は長い間続きそうなのか。ネットやアプリで何かしらの情報をつかもうとしている。
中継の間も、避難してくる人はどんどん増えていった。ホームは多くの人でごったがえし、あやすためか、よちよち歩きの幼い子どもに歩く練習をさせている人もいた。

結局、警報が解除されたのは、中継が終了してから40分後だった。人々はあっという間にその場を去り、平日の午前中の静けさが戻った。
路上で花を売る女性に聞いた話が印象に残っている。彼女は60代で、自宅の庭に咲いた花を売っていた。

花を売る女性
「お金を得るためではない。買いに来た人たちと会話して、人とのつながりを感じたい。不安な時だからこそ大切なこと」
息子は戦地で戦っているのだという。
警報が「日常」になり、慣れたという人が多くなっても、不安はぬぐえない。戦時下での日常に、自分なりに適応するすべを誰もが探っている。
政治が大きく動いた?

8月15日、トランプ大統領がプーチン大統領と会談した。その3日後の18日には、ゼレンスキー大統領やヨーロッパの5か国の首脳、EU=ヨーロッパ連合、NATO=北大西洋条約機構のトップとも会合を開いた。

ウクライナの人たちは、この動きをどんなふうに見ているのだろう。私たち取材班はその都度、キーウで市民に話を聞いたが、戦争の終結につながってほしいという期待の声も、少なからずあった。
焦点になったのは、ゼレンスキー大統領とプーチン大統領との直接会談が実現するのかどうかだ。しかし一連の会合から1週間も経たないうちに、直接会談に向けた動きは停滞した。
ゼレンスキー大統領は、連日、世界中の首脳たちと電話会談を行って、ウクライナの立場に理解を求めていた。さらに、自らドイツやイギリス、ベルギーを訪問し、ヨーロッパ各国の首脳のウクライナ訪問を受け入れ、結束してロシアと対峙する姿勢を鮮明にしている。
事態が進展するまで、ゼレンスキー大統領の「積極外交」は続くだろう。

夫の帰還を信じて
一方で、ウクライナの市民には「積極外交」を評価するものの、結果が伴わないことに半ば諦めのムードも漂う。多くの人が、終わりの見えない戦争に疲労感を拭えない。
「最後の力を振り絞って毎日を耐えているが、精神的な疲労がたまっている。ロシアは私の人生やウクライナを破壊し、大切なものをすべて奪った」
涙を流しながら話すのは、キーウ近郊のブチャに暮らす、ビクトリア・マヨルさん(50)だ。夫と弟は兵士として東部に投入され、夫はロシア軍の捕虜になり、弟とも2年以上連絡が取れていない。

少しでも手がかりがほしいと、毎日SNSなどで情報を探している。捕虜交換のリストに夫の名前が入っているという情報に触れ、夫の帰還を信じてスリッパと服を買ったという。
多くの市民が、家族を失ったことによる悲しみや怒り、失望、落胆など複雑に入り交じった感情を抱えながら生活している。
あまりにもつらく、大きな苦痛
8月24日でロシアがウクライナに侵攻を始めて3年半となった。
ウクライナは旧ソビエトからの独立記念日を迎えた。キーウでは、伝統衣装「ビシバンカ」を着た人の姿が多く見られた。中心部にある、兵士を追悼する場所には、朝から大勢の人が花を手向けた。広場に並ぶ兵士の遺影を見て涙を流す人もいた。

40代の息子が戦闘に参加しているという60代の母親に出会った。「国のために命をかけて戦ってきた人々へ敬意を表したい。ロシアを信じられない。私たちは勝利するまで戦う必要がある」と話した。
その3日後の夜から翌朝にかけて、ウクライナはロシアによる大規模攻撃に見舞われた。キーウでは子どもを含む市民25人が犠牲になった。
子ども向けのボランティア施設も被害を受けた。

施設を運営するルサーナ・シャルライさん(24)は、朝のニュースで建物が被害を受けたことを知り、夫と急いで車で出勤したという。

ルサーナさん
「破壊された建物などを見た時は泣いていた。これからどうすればいいか分からない。みんな、この戦争を終わらせたいと強く願っている。あまりにもつらく、大きな苦痛だから」
人々は命の危険にさらされ、これまで何度も味わってきた恐怖と絶望感にいま再び直面している。
日々の生活を安全に過ごせるのか。この戦争はいつ終わりを迎えるのか。本当に平和は訪れるのか。政治や外交は動いていても、市民の切実な問いには答えられないままだ。

(8月4日午後LIVEニュースーンなどで放送)
向井 麻里
1998年入局 国際部やシドニー支局、ロンドン支局長を経て現所属
フランスやスペインなどを中心にヨーロッパを取材
堀 征巳
2004年入局 新潟局 岡山局 ヨーロッパ総局などを経て2025年7月より現所属
ドイツを中心に欧州の政治経済や文化、ウクライナ情勢の取材を担当
高須 絵梨
2015年入局 奈良局 福島局 国際部を経て現所属
欧州やウクライナ IAEAなどを担当
軍事侵攻1年と3年、3年半の節目に現地で取材
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