これは19日、文部科学省が発表しました。

スポーツ庁の長官は2020年から室伏広治長官が務めていますが、民間から起用された場合の任期が最長で5年となっていることから今月30日の退任が決まっていて、河合氏はその後任となります。

アテネパラリンピック(2004年)

河合氏は静岡県出身の50歳。中学生のときに病気で完全に視力を失い、パラリンピックの競泳の視覚障害のクラスで2012年のロンドン大会まで6大会連続で出場し、金メダル5個を含む合わせて21個のメダルを獲得しました。

現役引退後、2020年からJPCの委員長を務め、東京パラリンピックなどで日本選手団の団長を担いました。

スポーツ庁の長官は、初代の鈴木大地氏、2代目の室伏長官とこれまでオリンピックの金メダリストでしたが、パラリンピアンが就任するのは初めてです。

河合氏は10月1日付けで就任します。任期は2年です。

◇河合純一(かわい・じゅんいち)氏 経歴

静岡県出身の50歳、生まれたときから目の病気があり、中学3年生の頃に視力を完全に失いました。水泳は5歳から始め、パラリンピックには1992年のバルセロナ大会に初めて出場し、競泳の視覚障害のクラスで銀メダル2個、銅メダル3個を獲得しました。

盲学校の高等部を卒業したあとは早稲田大学に進み、在学中の1996年に行われたアトランタ大会では、金メダル2個を含む4個のメダルを獲得しました。大学卒業後は当時の静岡県舞阪町の母校の中学校で社会科の教員となり、2000年のシドニー大会と2004年のアテネ大会では、いずれも5個のメダルを獲得し、2008年の北京大会では2個のメダルを手にするなど活躍を続けました。

パラリンピックには2012年のロンドン大会まで6大会連続で出場し、金メダル5個を含む合わせて21個のメダルを獲得し世界で活躍するパラアスリートの第一人者として実績を残しました。その功績をたたえられ、2016年には日本から初めてパラリンピック殿堂入りを果たしました。

現役引退後は、パラリンピックに出場した選手でつくる「日本パラリンピアンズ協会」や「日本パラ水泳連盟」の会長を務めたほか、2020年にはJPC=日本パラリンピック委員会の委員長に就任しました。

アスリート出身の経験を生かして選手の強化や普及のほか環境整備などを進め、2021年に開催された東京パラリンピックと2022年の冬の北京パラリンピックでは団長を務めるなど、パラリンピック界のリーダーの1人として存在感を発揮してきました。

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