石川県との県境にある富山県の旧福光町(現・南砺(なんと)市)は、日本有数の木製バット生産を誇り、「バットの街」と呼ばれています。5社のバット製造工場があり、年間20万本を生産しているそうです。
プロのバットも手がける
そのひとつ、「ロンウッド」は数多くのプロ野球選手のバットを手がけています。福岡市出身の中村将希さん(28)は若手職人たちとともに腕を磨いています。
円柱状の木材を機械にセットすると、工場内に削られる音が響き渡りました。依頼主はプロ野球や社会人野球の選手ら様々。重さやグリップなど、それぞれの仕様と同じものができるかが重要といいます。
バットづくりが本格的に始まったのは大正時代。昭和30年代には、福光町に10社を超えるバット工場があり、全国シェアの7割以上を占めたといいます。ロンウッドは1934年の創業で、58年からバット生産を始めたそうです。
材料選びが大事
中村さんは中学から野球を始め、高校球児でもありました。大学は理工学部で、人間の体の動きなどを学びました。大学入学前、浪人の時に朝日奨学生として、朝日新聞販売所(ASA)で働きながら、予備校に通って勉学に励んだそうです。
大学卒業後、野球にかかわる仕事がしたいと、ロンウッドに入社しました。塗装の前の下塗り、磨きといった基本の作業を経験。現在は、硬式バットの注文を受け、材料の選別、旋盤機を使った削り、研磨の作業を主に請け負っています。
バットづくりでは削り作業以上に、実は材料選びが最も大事だそうです。木製バットに使う木材は、以前はヤチダモ、アオダモが使われていましたが、現在は北米から輸入した「メープル」が主流です。
中村 木は生き物で、木目の位置や含水率によって重さは異なります。注文通りに仕上げるのは難しく、常に闘いです。バットの長さを間違えて、上司に指導されたこともあります。
桂天吾 落語でも、15分の持ち時間なのに、20分しゃべって、師匠から「よう、しゃべるなー」と言われたこともありました。
担当選手の活躍が楽しみ
野球離れや金属バットの広がりで、木製バットの需要が減り、機械による大量生産も増えているそうです。そんななか、同社は1人1人の理想にあったオーダーメイドのバットづくりを目指し、手作業にこだわっています。
東京の落語界では入門から15年ほどで「真打ち」になるとされます。バット職人は、1人前になるのに10年ほどかかるそうです。
「最近ではプロ野球の育成選手のバットを担当しました。その選手の活躍をSNSなどで見つけると、やはりうれしいですね」と中村さんは笑顔で話していました。天吾さん、中村さんはともにソフトバンクの大ファン。ロンウッドで手がけた王貞治球団会長のバットが社内にあり、手にした天吾さんは興奮した様子でした。
職人のプロフィール
なかむら・まさき 1997年、福岡県生まれ。強豪校の東福岡高校野球部出身。関東学院大理工学部卒業後、ロンウッドに入社した。
連載「桂天吾がゆく 伝統を受け継ぐ職人たち」
伝統文化の担い手が減るなか、その道に飛び込み、継承しようという若手職人たちがいます。関西で注目の落語家・桂天吾さんが現場をたずね、その思いを紹介します。
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