今季限りでの引退を表明したプロ野球阪神タイガースの原口文仁選手(33)が30日、兵庫県西宮市で引退会見に臨んだ。

 まだシーズン最終戦、そしてクライマックスシリーズ、日本シリーズも残っていることもあり、原口はユニホーム姿で会見場に現れた。

 引退を決めたのは9月下旬といい、「なかなか自分の思ったようにプレーできない、結果が出ないということが一番。これは僕が引退するタイミングではないかな、と考えた」と明かした。

 東京・帝京高から2009年のドラフト6位で入団した。強打の捕手として期待されたが、腰のけがや大腸がんなど、何度も選手生命の危機に直面した。そのたびに乗り越え、近年は代打の切り札として勝負強さを発揮した。

 ただ、今季の安打はまだ1本。「ファンのみなさまに苦しい思いをさせている。クライマックス、日本シリーズと戦いが続いていく。僕もその戦力に少しでもなれるように、挑みたい」と力を込めた。

 報道陣との主なやりとりは以下の通り。

引退会見「自分の思ったようにプレーできない」

(冒頭、原口からあいさつ)

 本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。今シーズンをもって現役を引退致します。多くの方々に支えられて、16年間プレーできました。本当にありがとうございました。

 ――引退を決意された今のお気持ちを教えてください。

 少し寂しい気持ちもありますが、本当に多くの方々に支えられて、ここまでやってこられたという感謝の気持ちが大きいです。

 ――いつ、どのタイミングで引退が頭によぎって、どのタイミングで決意されましたか。

 なかなか今シーズンは思うように結果が出なかったのが1番です。9月の下旬に球団に話をさせていただきました。

 ――一番最初に、どなたにお伝えになりましたか。

 支えてくれた家族、妻に最初に伝えました。

 ――どのような反応、言葉がありましたか。

 本当によく頑張ったんじゃないかと。子どもたちに伝えたのは、最近で。一昨日(28日)のファームの最終戦が終わってから家で伝えました。

 ――9月の下旬に引退を決意したということですが、一番の要因は。

 やっぱりなかなか自分の思ったようにプレーできない、結果が出ないということが一番で。これは僕が引退するタイミングではないかな、と考えました。

 ――ユニホーム姿です。まだできるんじゃないか、まだ応援したいというファンもいらっしゃると思いますが、意思は固いということでしょうか。

 まだ戦いがあるので。僕の中でもスーツはまだ早いかなって感じて。ユニホームは戦闘服なんで、そういう気持ちを忘れたくないので、ユニホームを着させていただきました。

 ――(同い年の)1991年(生まれ)組の皆さんには伝えましたか。

 まだみんな1軍で戦っている最中だったので、なるべくぎりぎりまで伝えないようにしていました。やっぱり、1軍の舞台は勝負の舞台なので。

 ――どんな反応でしたか。

 後でみんなでご飯を食べるときに話をしよう、という感じです。あっさりしていました。

 ――今日は午前中練習にも参加されました。練習前に円陣で声をかけていましたが、どんなお話しをされましたか。

 若手のころからお世話になった監督、コーチ、現役を一緒にやらせていただいた方も多かったので、本当にありがとうございました、大変お世話になりました、と。裏方さんも含め、みなさんに伝えさせていただきました。

 ――まだまだ戦いが続く中、恐縮ですが、この16年間の現役生活を振り返って、どんな野球人生でしたか。

 本当に入団した後、1軍に上がるまでだいぶ長い時間がかかってしまった。けがだったり、育成(契約)だったり、そういうものを経験していくなかで、球団が契約してくれたことはすごく大きかった。大好きな野球を続けて、なんとかタイガースの優勝に貢献したいという気持ちを持ちながら、若手の頃から、志高くやっていました。

 ――印象に残っているシーンはありますか。

 やっぱり初ヒット。長くかかったので、その1本目ってのは、すごく、特別な1本でした。病気から復帰して、千葉ロッテ戦で打った1本も特別な瞬間でした。

 ――復帰後の数試合、そしてオールスターを含めて、我々はドラマを見ているような感覚でした。ご自身はどんな感覚でプレーしていましたか。

 本当に自分の力以上のものが、節目節目で出せたのは、ファンの皆さんの応援に支えられたと本当に思っています。後押しをすごくして頂いて、ファンの皆さんに今、感謝の気持ちでいっぱいです。

 ――そして今年のヒット、1安打ですけど、東京ドーム、相手がジャイアンツでした。

 やっぱり1本出したいと思って、日々やってたんですけど……。お世話になった人にも見せたいと思い、1本出てよかったなと思います。

 ――甲子園はどんな場所でしたか。

 高校時代もプレーさせていただきましたが、タイガースに入ってから、甲子園球場は同じなんですが、別物のような感じで。タイガースファン一色になるなかでやらせてもらえる幸せをすごく感じていました。野球人として、タイガースのユニホームを着て、練習、試合ができる甲子園は特別な場所でした。

 ――代打原口のコールが告げられると、球場がすごく盛り上がります。あれは、どういうふうに感じていますか。

 本当にありがたい。結果が出ない中でも応援していただいて、何とかしたいという気持ちで打席に向かっていますが、なかなか思うようにいかず、そういうところでファンの皆さんに苦しい思いをさせてしまったと思います。チームになかなか貢献できなかったのは悔しいです。

 ――けがが何度もあり、育成契約も経験して、そして大腸がんもありました。それを全部乗り越えて野球を続けられたのは、何が一番の支えだったんでしょうか。

 一番は野球が大好きという思いを、小さい頃から持っていて、今までできたことが大きい。目標を持ち続けて、その目標に向かって進んでこられた。前だけ向いて進んでこられた。

 ――後輩たちに伝えたいことは。

 若い選手が中心のチームなので、一人ひとり、自覚をもってやっているので、僕から言うことはないんですが、満員の甲子園球場でできる幸せを日々感じてほしい。ファンのみなさまあってのプロ野球だと思います。タイガースはすごくファンのみなさまが熱心に応援して下さるので、感謝の気持ちを忘れず、強いタイガースを、たくさん応援してもらえるように、みんなで頑張ってほしいと思います。

 ――ポストシーズンに向けての意気込みを教えてください。

 今、チームが一丸となってシーズンの最終戦を迎えますが、クライマックス、日本シリーズと戦いが続いていく。僕もその戦力に少しでもなれるように、挑みたい。

 ――タイガースファンにメッセージを願いします。

 16年間本当にありがとうございました。みなさんのこの熱い応援のおかげでここまでプレーできました。最後まで、みんなと一緒になって日本一を目指して頑張りますので、応援よろしくお願いします。16年間ありがとうございました。

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