日米通算200勝まであと1勝としている田中投手は30日、東京ドームで行われた中日戦で先発しました。

田中投手は、「自分の出せる力を全部出し切る」と1回、2アウト二塁で中日の4番・ボスラー選手をセンターフライに打ち取り、0点に抑えました。

打線はそのウラ、1点を先制し、さらに2アウト一塁三塁のチャンスで6番の中山礼都選手が左中間に2点タイムリーツーベースを打って田中投手を援護しました。

田中投手は3回、細川成也選手にツーランホームランを打たれましたが、多彩な変化球をうまく操りながら打たせてとるピッチングで、6回2失点と3対2でリードしたままマウンドを降りました。

このあと、4人のリリーフピッチャーがリードを守り、試合は巨人が4対2で勝ち、田中投手が今シーズン3勝目をあげました。

この結果、田中投手は、プロ野球通算122勝とし、大リーグ、ヤンキース時代の78勝と合わせて日米通算200勝を達成しました。

日米通算で200勝を達成したのは、野茂英雄さん、黒田博樹さん、それに、大リーグ、パドレスのダルビッシュ有投手に続いて史上4人目です。

“本当に長い時間がかかった”

田中投手は、試合終了の瞬間、はにかんだような笑顔を見せ、帽子を取って東京ドームの大歓声に応えました。

そして、同学年の坂本勇人選手から花束を受け取ると、満面の笑みを見せて喜んでいました。

そのままグラウンドで行われたヒーローインタビューで田中投手は、「本当にうれしいです。ここまで本当に長い時間がかかったし、ジャイアンツに入団してから早く本拠地で勝ちたい、ヒーローになりたいと思っていた」と話しました。

ウイニングボールは「家に置いておきます」と笑顔で答え、「きょうは持てる力をすべて出し切ってマウンドを降りるという気持ちで試合に臨んだ。いちばんの支えは応援してくれる家族の存在だが、僕の野球人生に携わってくれたすべての人に感謝したい」と感謝の気持ちを話しました。

そしてチームがクライマックスシリーズに進むことを踏まえて「きょうこれで終わりということはない。ここから先、勢いに乗って戦っていきたい」と力強い表情で話しました。

田中将大投手とは

田中将大投手は、兵庫県出身の36歳。

北海道の駒大苫小牧高校では、2005年の夏の全国高校野球で2年生ながら投手陣の柱として大会連覇に貢献し、翌年には決勝で早稲田実業の斎藤佑樹投手と投げ合って引き分け再試合を戦い、高校野球の歴史に残る試合を繰り広げました。

2007年に高校生ドラフト1巡目で楽天に入団し、当時の監督だった野村克也さんのもとで1年目から11勝をあげて、新人王に輝きました。

新人から3年間、指導を受けた野村さんからは、「マー君、神の子、不思議な子」と評されました。

東日本大震災が起きたプロ5年目の2011年には、19勝5敗の成績で、最多勝や最優秀防御率などのタイトルを獲得し、沢村賞にも選ばれました。

そして2013年には、当時の監督・星野仙一さんのもと24勝0敗と驚異的な成績を残して、楽天を球団創設以来初めてのリーグ優勝に導きました。

巨人との日本シリーズでは、第6戦に160球を投げながら第7戦の9回に抑えとして登板し気迫のピッチングで日本一をつかみ取りました。

翌年にはポスティングシステムを利用して大リーグ・ヤンキースに移籍し、1年目から13勝をあげるなど入団から6年連続でふた桁勝利をあげました。

2021年に楽天に復帰しましたが、昨シーズンはプロで初めて1勝もできないなど復帰後の4年間は20勝33敗でした。

日米通算200勝まであと3勝に迫る中、楽天を自由契約となり、今シーズン、巨人に加入していました。

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