日本高野連の元事務局長が語る「高校野球半世記」
2007年、野球特待生制度をめぐる日本学生野球憲章違反が大きな問題になりました。
発端は早稲田大の野球部員(当時)らがプロ野球の埼玉西武ライオンズから金銭を受け取っていたことでした。この部員の出身高校である専大北上(岩手)が、中学時代の野球の成績などをもとに生徒の入学を認め、学費などを免除していたのです。
日本学生野球憲章では当時、選手または部員であることを理由に生活費や金品などを受け取ることを禁止していました。学校側への聞き取りの過程で同年4月、スポーツ特待生制度を採用していたとわかりました。
日本高校野球連盟にも甘さがあったと反省しています。例えば、甲子園大会の取材中に選手がぽろっと言うんです。「僕は特待生制度で何とか頑張れました」と。地元の高野連を通じて野球部長に確認すると、「学業による特待生です」との返答。学業成績や経済的な理由での特待生は違反ではありません。その言葉を信じてしまっていた。
この問題を契機に、全国調査を実施しました。4月下旬、当時の脇村春夫・日本高野連会長は「高校野球の健全化を図らないといけない」と。いざ調査を始めると、蜂の巣をつついたかのようでした。400校近い高校で、約8千人の憲章違反が発覚しました。
野球の特待生制度を採用していた場合は部長を交代させ、部員は奨学金を打ち切った上で、5月末まで対外試合への参加を禁止しました。
5月の連休明けに電話がありました。ある県の理事長からでした。「(複数の学校で)部長が代わると、運営が大変になる」と、泣きそうな声でした。5月10日には部長は6月以降、再び部長に就任することを認め、部員も学校側の裁量で救済を認めるなど処分緩和を決定しました。
全国高校体育連盟(高体連)には、特待生制度について明文化した規定はありませんでした。「なぜ高校野球だけ厳しいのか」という現場の声もありました。
これには、歴史的な経緯が関係しています。学生野球人気が過熱していた1932年、興行化、商業化に歯止めをかけようと、国(文部省)が「野球統制令」を発令しました。プロとの試合や、選手を使った宣伝、選手の身分を理由とする学費や生活費の支給などを禁止したのです。
この反省から、戦後、国からの介入を受けず、自制、自立して運営しようと制定されたのが日本学生野球憲章だったのです。
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日本高校野球連盟の事務局長や理事などとして半世紀にわたり、運営に携わってきた田名部和裕さん(79)が、高校野球の歴史を振り返ります。
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