日本中央競馬会(JRA)の横山典弘騎手(57)が黄綬褒章を受章した。競馬の認知度向上やイメージアップなどに大きく貢献したことが評価された。
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1968年生まれ、東京都出身。父・富雄さん(故人)は天皇賞などのGⅠ勝利がある騎手で、親戚にも競馬関係者がいる環境で育った。
86年の騎手デビュー以来、積み重ねたJRAの勝利数は歴代2位の2989(10月26日現在)。1学年下の武豊騎手(56)に次ぐ。
自身の背中を追うように長男の和生さん(32)、三男の武史さん(26)も騎手となり、今では親子3人が同じレースで競う光景も珍しくない。
最高峰のGⅠレースは28勝した。数々のビッグタイトルを手にしてきたベテランは、自身の栄光よりも「馬本位」の姿勢を大切にしてきた人でもある。
象徴的なのは、3度目のダービー優勝を果たしたサラブレッドとの逸話だ。
2024年4月。クラシック3冠の第1戦、皐月賞でダノンデサイルとコンビを組み、スタートゲートに向かった。
しかし、発走直前になって右前脚の異変に気付く。「本当に微妙なところ」という軽いけが。騎手によっては、レースに支障がないと判断してもおかしくなかった。
競走馬にとっては一生で一度しかない晴れ舞台が、クラシックレースだ。それでも、横山典騎手はちゅうちょなく競走除外(レースを走らない)を決めた。
そして、態勢を立て直して挑んだ翌月の日本ダービーで、ダノンデサイルは力強いラストスパートを見せ、ダービー馬となった。
レース後の会見では、皐月賞の「英断」について質問を受けた。「皐月賞、皐月賞と言われますが、デビューから子どもっぽいところがあって……」。横山典騎手が語り始めたのは、ダノンデサイルの成長過程だった。
人間の都合ではなく、馬の心身を第一に考えれば、当たり前の判断だと。そう言いたげだった。
「(この先も)5歳、6歳と走りますから。馬が完成するまでのプロセスとして接しています」とも言った。4歳となったダノンデサイルは、別の騎手が手綱を取るようになった今も活躍を続ける。今年4月には中東ドバイで世界の強豪が集うGⅠレースを制覇した。
横山典騎手の馬作りに対する信念がなければ、ダノンデサイルは未来に待つ大きな成功をつかめなかったかもしれない。きっと、名もないレースを懸命に走る多くの競走馬も、同じように救われている。
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