日本サッカー協会(JFA)が2006年に始めたJFAアカデミーは、福島・Jヴィレッジに充実した環境を整えて「エリート教育」を掲げました。世界に通じる個の力を育てるためには何が必要か。JFAアカデミーの女子チームで指導した経験があり、スポーツのコーチング論などを専門にしている早大の広瀬統一(のりかず)教授に話を聞きました。

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早大の広瀬統一(のりかず)教授

 ――スポーツのエリート教育にはどのようなものがあるのでしょうか。

 「よくイメージされているのが、JFAアカデミー福島のように同じ場所で寝泊まりして競技に集中する形です。それとは別に、Jリーグのユースチームのように、選抜されてその競技、種目についての専門の教育を受けるというものも、エリート教育に当てはまると思います」

大切なのはリスクとベネフィット

 ――特化した教育が効果を発揮するために大切なものはあるのでしょうか?

 「リスクとベネフィットのバランスですね。例えばタイミング。10歳以下からだと早期エリート教育といわれますが、トップパフォーマンスに至る年齢が早い競技では、早期にエリート教育を受けることが多いように思います。フィギュアスケートなどがそうですね」

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 「一方、サッカーではトップパフォーマンスが20歳の頃を超えてくる。ピークに達するまで10年かかるとしても、10歳以降から特化しても十分という考えになります。逆にあまりに低年齢で練習量が多すぎると、ケガのリスクが高まり危険性もあります」

 「また、成長のパスウェー(道のり)が多様なことも大事です。たとえ一時期トップレベルに入れなくても、後に入ることができるような選抜システムが大事です。成長曲線は一定とは限らないですから」

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JFAアカデミーの男子選手寮。中学の3年間、ここで共同生活を送る=福島県広野町

 ――広瀬さんはJFAアカデミーの女子チームにも関わっていた経験があります。実際に関わって感じたことは。

 「サッカー以外の取り組みをしていることが良いと感じました。英語以外にもロジカルシンキング(論理的思考)やクリティカルシンキング(批判的思考)を学べる」

 「一方で(選抜された集団の中では)一定程度、順位付けがなされてしまうリスクもある。あの選手は代表に選ばれているけど自分は違う、といったことですね」

 「例えば中学1年生の時にそうした関係性ができると、高校生になってもひっくり返すのが難しい。心理的な『天井』が生まれてしまうわけです。だからこそ指導者は、自ら天井を作っている子に対して羽ばたくきっかけを与える必要があります」

 「サッカー以外のプログラムがあることは、自分の良いところや可能性を再認識できるという点にもあると感じます」

内的・外的動機を行ったり来たり

 ――親や周囲からすると、恵まれた環境にいるなら成長して当然と思ってしまいがちです。そういう周りの願望と、本人の成長に関連性はあるのでしょうか?

 「まずは、本人がその環境を好んでいるか。(競技を)好きでいられなければ育たないですから」

 「ただ、必ずしも一年中ずっと好きで楽しいという内的動機を持ち続けられるかというと、そうとは限らない。『サッカーをしている自分が自分』という自己同一化や、誰かが喜ぶ顔を見たいという外的動機もあります。常に一つの動機ではなく、誰しも内的・外的動機を行ったり来たりします」

 「でも、例えば『親に言われているから』など、やるしかない状態にずっと置かれていたら、どこかでバーンアウト(燃え尽き)してしまうのだと思います」

 ――過去に見た選手で、心のコントロールがうまい選手はいましたか。

 「あるユースチームを指導していた時ですが、突然、『1カ月くらい練習を休みたい』と言ってきた選手がいました。理由を聞くと『友達と遊んでいる方が楽しくて、サッカーがあまり面白くない』と」

 「1カ月ぴったり休んで戻ってくると、『もう十分友達と遊んだので、もう一回サッカーに集中します』と言って練習を再開しました。彼はその後プロになり、40歳近くまで現役を続けています」

 「当時コーチとして見ていて、その選手がサッカーから心が離れているようには見えなかった。それでもそうやって監督に言えて、自分でモチベーションをコントロール出来るのは素晴らしいと思いましたし、大人がそういうことを言える環境を作っていないと言い出せないですよね。信頼できる関係を結んでいることは、子どもたちにとってとても大事だと感じました」

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JFAアカデミー男子チームが使う練習グラウンド。人工芝で1・5面分あり、屋根付きのグラウンドもある

 ――エリート教育というとハード面に注目が集まりがちですが、こうした関係性も大事になるのでしょうか。

 「個の力を伸ばすために必要になるのは二つあると思っています。一つは、自分自身が何に得意か気づくこと」

 「そしてもう一つが、チャレンジできる環境をつくること。あるいは失敗を恐れないような状態に子どもを向かわせること。チャレンジすることは自分の長所を伸ばせる唯一の方法です。安心して失敗できるような、監督やコーチに対する信頼が大事になります」

略歴

 ひろせ・のりかず 兵庫県出身。サッカーは大学までプレー。早大卒業後は現在の東京ヴェルディや名古屋グランパスの下部組織でフィジカルコーチなどを担当した。2007年から15年にかけて、JFAアカデミー女子チームのコンディショニングアドバイザーを務めた。現在は早大スポーツ科学部教授。

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