
元県高野連理事長の安里嗣則さん 福岡を上回る優勝回数に喜び
元県高校野球連盟理事長の安里嗣則さん(85)は入院先のうるま市内の病院でテレビ観戦し、沖縄尚学の優勝を見届けた。県勢の甲子園優勝回数が春夏合わせて5度(春3、夏2)になり、九州で福岡(4回)を抜いて単独トップになった。「ずっと福岡を上回ってほしいと思ってきた。感動しっぱなし」と声を弾ませた。
戦後、何もないところから出発した沖縄の高校野球。本土のチームとの差を縮めるため、安里さんは指導者として沖縄全体の競技力向上に力を注いだ。今では他の競技や地域でも取り入れられている1年生大会や野球部対抗競技会をいち早く実施した。「なかなか勝てない時期もあった。これからは毎年優勝争いができるとうれしい」と話した。(社会部・大門雅子)
1962年に夏の甲子園出場 安仁屋宗八さん、優勝の瞬間に涙
1962年に南九州大会を制し、沖縄勢で初めて自力で全国選手権大会へ出場した沖縄高校(現沖縄尚学高校)のエースで、元プロ野球広島の安仁屋宗八さん(81)は、広島県内の自宅で決勝を観戦した。沖尚が日大三の最後の打者を遊ゴロ併殺に仕留めた瞬間、涙がこぼれ落ちた。「本当にすごいことをやってのけた。おめでとうという言葉しかない。興奮して涙が止まらない」と喜んだ。
印象的だったのが五回裏の守備で、ファウルフライを捕った捕手が三塁手とぶつかりそうになった場面。甲子園球場を揺らす歓声は、自身も高校時代のマウンドで経験済みだ。「歓声が大き過ぎて、選手同士の声かけがほとんど聞こえない。応援が盛り上がるたびに緊張した」と懐かしんだ。
優勝の立役者に、捕手・宜野座恵夢の名を挙げた。「捕手は野球の要。インコースをうまく使ったリードをしていたし、野手への指示も的確。打撃も好調で、攻守で良い流れをつくっていた」とたたえた。
好投を見せた投手陣についても「末吉良丞も新垣有絃も、直球と変化球の緩急が素晴らしい。将来が楽しみで仕方ない」と評する。「2人とも2年生で、まだまだ伸び代がある。努力を怠らなければ、2連覇も遠くない」と後輩たちのさらなる飛躍に期待した。
(運動部・大城祥一)
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