34年ぶりに東京で開催される世界陸上が、13日に開幕する。大会3日目、15日午前7時30分には男子マラソンがスタート。厳しい気象条件となることが予想されるが、世界陸上初代表の小山直城(29、Honda)は「苦しくなったときにしっかりと覚悟をもって走り切りたい」と決意を語る。憧れの存在・設楽悠太(33、西鉄)との出会いが陸上人生の転機になったという小山。「チャレンジングにいこう。守りにはいるな」と小川智監督も鼓舞するように、初の世界陸上ではパリオリンピック™で叶わなかった、8位入賞を目指す。

姉「興味のあることはなんでもやってみたいタイプ」

「苦しいことや辛いこともたくさんありますけど、試合後の達成感は辛いことや苦しいことを忘れさせてくれる。純粋に走ることが好きだからかなと思います」

1996年、埼玉県日高市生まれ。4歳上の姉・紫織さんは、「興味のあることは何でもやってみたいタイプ。山とか川とかで遊ぶ田舎っ子」と弟の幼少期について語る。大自然が遊び場だった小山は、幼いころから足が速かった。

4歳上の姉・紫織さんと小山選手

「本当に無我夢中に走っていたと思いますね。その時はまだ走る楽しさはわからずただきつい苦しいっていうのが強かったかなと思います」。中学1年生で陸上を始め、当初は夢よりも、ひたすら目の前のゴールを見つめていた。

陸上人生の転機

県立松山高校に入学してからも、その才能は原石のままだったと、恩師・青木美智留さんは振り返る。

「あの時の小山のレベルで行ったら全国大会も出てなかったわけだし、高校3年生のインターハイを狙ったら、県大会で転んでけがをして棒に振っちゃったので」

当時、トップランナーではなかった小山だが、そんな彼の人生を変える出会いが訪れたのは高校3年生で出場した2015年の都道府県駅伝だった。4区を走った小山がタスキを受けたのは、社会人でHondaに所属していた設楽悠太(当時23)。のちに、2018年の東京マラソンで2時間6分11秒をマークし、マラソンの日本記録保持者となる設楽の存在が、小山の陸上人生の転機となった。

設楽選手の練習パートナーとなった小山選手

「(設楽選手は)同じ埼玉県出身でもあって、身近にそういう選手がいるんだって感じていて憧れるようになりました。いろんな大会で先頭を走ったり、突き抜けた走りに自分は憧れています」

そんな憧れの存在、設楽の後を追い、小山は東農大を経て、地元のHondaへ。そして、入社1年目にして、設楽の練習パートナーに抜擢されたのだ。当時の設楽はまさに全盛期で、東京五輪代表選考会を控えており、練習量は過去最大。「しっかり引っ張り切れるかが不安だった」という小山だったが、設楽も驚くほどの猛練習をやり遂げた。

設楽は当時を「よくやってくれたなというのはありましたね。どの練習もしっかり引っ張ってくれたので自分は小山を選んでよかったなっていうのはありますね」と振り返る。

初めての日の丸、パリ五輪代表に

日本のトップランナーと汗を流した時間は、小山が飛躍する大きなきっかけとなった。2023年のニューイヤー駅伝ではエース区間の4区を任されると、3位で受け取ったタスキをトップに押し上げる走りで、チームを連覇に導く立役者に。Hondaの小川監督も「いい想定外というか予想以上の進歩を遂げているなと見ています」と話したように、9か月後のパリ五輪代表選考会では、憧れの日本代表の座を勝ち取った。

そして迎えたパリ五輪。初めて日の丸をつけて臨んだ夢舞台だったが、蒸し暑さの中で走る、夏のマラソンの過酷さを知った。湿度が70%を越える過酷なレースで結果は23位。「(8位入賞という)目標から大きくかけ離れてしまって、すごく悔しい結果となってしまいました」。

だが、その悔しさを力に変えてきた。暑熱対策として、今年からサウナに入り始めた。「パリオリンピックも気温が結構上がって、なかなか思うような走りができなかった。一つの失敗の例として暑さがあった。暑さに耐えることは陸上に活きると思っています」。汗を出すことで体内の熱を効率よく外に逃がす機能を高める狙いだ。

日の丸に「覚悟」の文字(壮行会)

8月22日に所属するHondaで行われた壮行会では、仲間から大きな声援が送られた。日の丸に「覚悟」の文字を記した小山。「パリオリンピック™のときは23位という悔しい結果を残してしまい、良い報告ができずとても悔しかったですが、今回は8位入賞をしっかりクリアできるように頑張りたいです」と力強く語った。

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