オファーから4日で海外へ

Jリーグのシーズンまっただ中の先月(8月)上旬。成田空港から1人のJリーガーがベルギーへ旅立とうとしていた。J1、東京ヴェルディの綱島悠斗。センターバックとして昨シーズン途中にレギュラーをつかんだばかりの、25歳だ。

大学を経てプロ3年目、どちらかと言えば、遅咲きといえる綱島に、ベルギー1部の古豪クラブから獲得のオファーが届いたのは、わずか4日前だった。

確かに高校時代から海外でプレーすることを夢見てはいた。レギュラーへ、はい上がり、自信も深めつつあった。ただヨーロッパから突如、届いた招待状に、驚きを隠せなかったという。それでも迷いはなかった。

ベルギー1部アントワープに移籍 綱島悠斗選手
「ヴェルディに入団したときはまずはレギュラーをとることが目標というレベルだったので、2年後にこのような景色が見られるとは全く思っていませんでした。今まで経験したものより、はるかに高い壁が待っていると思いますが、今の自分を変えるためには、より厳しい環境に行くしかないと決断しました」

レギュラーじゃなくても

「日本代表じゃなくても、もっと言えば、Jリーグのレギュラーじゃなくても、海外に出て行くのが当たり前の時代になってきています」

そう語るのは綱島をベルギーに送り出した、代理人事務所の代表、田邊伸明だ。代理人は選手に代わって移籍や契約についてのやりとりをクラブと行う交渉のスペシャリスト。

田邊は日本選手の海外移籍に長年携わってきた、国内サッカー界における代理人の先駆者的な存在だ。

アーセナルへ移籍しユニホームを披露する稲本潤一選手 2001年7月

初めて手がけた海外移籍は2001年。ガンバ大阪に所属していた稲本潤一の、イングランドプレミアリーグ・アーセナルへの移籍をまとめた。

当時を振り返る田邊のことばから日本選手を海外に売り込むことがいかに大変だったかがわかる。

田邊伸明さん
「いろいろなクラブの住所を1つ1つ調べて、稲本のプレーをまとめたビデオを送りました。全部で240本くらい送ったかな。ちょっとでも目にとまるようにと、封筒の中に一緒に鈴を入れたこともありました」

今では笑い話のようだと語ってくれたエピソード。当時はそれくらい、日本選手の注目度は高くなかった。

それから20年あまり。田邊の事務所が移籍をサポートする日本選手は120人にまで増えた。もちろん、Jリーグのクラブ間での移籍もあるが、海外クラブからの問い合わせは年々、増えているという。

対象は実績のあるJリーガーから、まだ公式戦の出番が少ない10代の若手にまで及ぶ。

田邊のパソコンをのぞかせてもらうと、ある選手について、ヨーロッパのさまざまな国のクラブから、あわせて7件の問い合わせがきていた。

田邊伸明さん
「オファーまでいかなくても、その選手の契約がいつまであるのか、年俸や移籍金はどれくらいかという問い合わせはめちゃくちゃあります。もうこっちから選手の映像を送るなんてことはないですね」

選手の目星はクリックひとつ

世界のサッカー界でもはやスカウトの目が届かない、未開の地はほとんどない。あらゆる国の、あらゆる選手が獲得のターゲットになっている。

それを可能にした要因のひとつがスカウトテクノロジーの劇的な進歩だ。

アメリカの会社が運営するスカウトシステムは、サイト上で、100か国以上、69万人の膨大なリストから求める条件に沿う選手を簡単に見つけ出すことができ、世界で1400ものクラブが導入している。

年齢、身長といった基本情報をはじめ、1試合の走行距離の平均値や球際の攻防の勝率など、検索の条件は多岐にわたる。

我々、取材班は東京にある運営会社の支社を訪れ、実際にシステムを体験させてもらった。

今回、想定したのは「若くて攻撃力があるサイドの選手」。

▼ポジションを指定し、年齢を19歳から23歳に設定すると、1188人に絞られた。
▼さらに1試合に打つシュートが2本以上という条件を加えると、イングランドなど強豪リーグだけでなく、メキシコやウクライナなどのクラブに所属する165人がリストアップされた。

そうした選手たちのプレーを動画で確認することもできる。検索にかかる時間はたったの数分。クリックひとつで、選手の目星をつけることができるのだ。

こうして選手たちは世界の移籍市場に”さらされる”ことになり、目立った実績がなくても声がかかりやすくなったのだ。

スカウトシステム運営会社 エド・サリーさん
「これまで日本のすばらしい選手は、海外からあまり知られていませんでしたが、テクノロジーの進歩とともに大きな注目を集めるようになったのです」

南米より、日本の選手

とはいえ、最終的な見極めは今も昔も、人間の「目」である。

ヨーロッパには近年の日本サッカーのめざましい発展に加え、日本選手の特性を評価するクラブが多いらしい。

例えば、ドイツ1部のフライブルクでは、この15年ほどで4人の選手を獲得してきた。この夏には10億円以上を投じて、デンマークのクラブから、日本代表になってまもない、鈴木唯人を獲得した。

鈴木唯人選手 2025年8月

ドイツ1部の中堅クラブであるフライブルクが目指すのは全員がハードワークを惜しまず、攻守において運動量で相手を上回るサッカー。

それを実現するには、日本選手の献身的ともいえる姿勢が欠かせないのだという。

ドイツ1部フライブルク・ハルテンバッハ スポーツダイレクター
「日本選手はクラブの方針にとてもよく合っています。チームのために全力を尽くす、すばらしい姿勢を示してくれます。鈴木選手だけでなく、年2回ほど日本に行ってJリーグの試合を視察しています。私たちは南米の選手より、日本選手の獲得に力を入れているんです」

課題は ”安すぎる” 移籍金

”人気株”ともいえる日本の選手たち。しかし、日本のJリーグからヨーロッパのクラブへ渡る場合、大きな課題となっているのが「移籍金」である。選手が移籍する場合、もとの所属クラブは獲得する側のクラブから、移籍金を受け取ることが多い。クラブにとって移籍金は大切な収入源で、このとき、いかに”高く売れるか”が重要なのだ。

FIFA=国際サッカー連盟が公表したデータによると、この夏の選手1人当たりの移籍金の平均を比べるとベルギーのリーグが2億7000万円、オランダのリーグが2億4000万円。これに対して、Jリーグは4000万円だった。

ビジネスの観点でいえば、Jリーグの選手はベルギーやオランダのリーグの選手よりも”安く売られている”ということになる。この傾向については、日本が地理的に離れていてヨーロッパのスカウトが選手のプレーを直接見る機会が少ないことや、Jリーグの選手の年俸水準がヨーロッパよりも低いため、市場価値も上がりにくいなど、いくつかの理由が考えられる。

契約満了のタイミングで移籍金なしで新天地へと旅立つ選手や、出場機会を求めてJリーグのレベルとまではいかない国のリーグでプレーする選手などもいるため、一概にはいえないが、国内のサッカー関係者は「Jリーガーは実力があっても正当な評価を受けていない。買いたたかれている状態だ」と口をそろえる。

Jリーグの改革元年

国際化がこれほど進むと、もはや選手の海外移籍を止めることはできない。それは裏を返せば、国内クラブがヨーロッパ並の移籍金を得られるビジネスモデルを構築できれば、次世代を担う選手の育成や補強に充てる資金を増やすことができるチャンスともいえる。

そこでJリーグは組織をあげて、「海外リーグとの移籍金の差をどうやって埋めていくか」をテーマにさまざまな改革に乗り出した。

そのひとつが、来年の「シーズン移行」だ。これまでJリーグのシーズンは、春から秋にかけて戦う、「春秋制」が採用されていたが、これをヨーロッパの主要リーグと同じ、秋から春までの「秋春制」に改める。

ヨーロッパとシーズンを合わせることで、世界の移籍市場が最も活発で、大金が動く時期に、日本選手が移籍しやすい環境を作り、移籍金を引き上げるためのノウハウを蓄積するのが狙いの一つだ。

さらに、Jリーグに加盟する各クラブには、来年以降、シーズン前に行うキャンプの候補地としてオーストリアの山岳地帯を提案している。

欧州キャンプの視察

ここではヨーロッパを中心に100以上のクラブがキャンプを行っていて、力のあるクラブと練習試合を組めるだけでなく、そこに集まるスカウトたちに、ヨーロッパでのプレーを希望する選手をじかに見てもらうこともできる。

また、国内のクラブは代理人を通じて移籍交渉を進めることが多いといわれているが、海外のクラブと直接交渉ができれば、ふだん選手を間近で見ている強化担当者らが、その持ち味を詳しく相手に伝え、移籍金のアップにつながるかもしれない。

欧州での練習試合

直接交渉は海外ではスタンダードで、そのパイプ作りのきっかけにもして欲しいと、Jリーグではオーストリアでキャンプを実施する国内のクラブに対して、費用の一部を支援する予定だ。

ほかにも、将来的に新人選手の年俸の上限を撤廃するなど、そもそもの選手の価値向上にも務める。

こうした取り組みが実を結び、Jリーグが移籍市場で、ヨーロッパと同じ土俵で戦えるようになるには少し時間がかかるかもしれない。それでも、改革を進めていかなければ、世界のマーケットから置いていかれることは間違いない。

Jリーグが誕生してから、30年あまり。国際化のスピードがあがり続ける中、今後も魅力的なリーグであり続けるために、どんな未来を描いていくのか。Jリーグ、そして日本サッカー界はかつてない変化に身を投じる”改革元年”を迎える。

(9月9日 クローズアップ現代で放送)

スポーツニュース部 記者
並松 康弘
新潟局、仙台局、大阪局を経て2024年秋から現所属でサッカー取材を担当

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