1985年9月22日の「プラザ合意」では、日本やアメリカなど当時のG5=主要5か国が、ニューヨークのプラザホテルで行われた会合でドル高の是正で一致し、外国為替市場への協調介入を実施しました。
これによってドル高は是正されましたが、想定を超える急激な円高をもたらし、合意前に1ドル=240円だった円相場は、わずか1年で150円台まで円高が進みました。
為替変動の影響を受けにくくしようと、日本企業の間で進んだのが生産拠点の「海外移転」です。
経済産業省の調査によりますと、国内の製造業の売り上げのうち海外法人での売り上げが占める割合を示す「海外生産比率」は
プラザ合意当時の1985年度はおよそ3%でしたが
1996年度には10%を超えました。
さらに
円相場が史上最高値をつけた次の年の2012年度には20%を超え
最新の統計である2023年度は27.2%まで上昇しています。

福井県の繊維メーカー、セーレンも生産拠点の海外移転を進めた企業の一つです。
1ドルが戦後初めて100円を突破した1994年にタイに進出して海外展開を本格化させ、今では海外9か国に拠点をもち、売り上げに占める海外の比率は75%にのぼっています。
市場の変化に対応するため海外移転とともに「多角化」も進め、繊維事業の技術を生かしながら、今では健康医療関連の資材や半導体のシリコンウエハー加工、小型の人工衛星などに事業を拡大しています。

セーレンの川田達男CEOは「為替の影響を受けにくくするために海外で現地生産、販売を思い切って進めてきたし、これからも進めていきたい。世の中のニーズにしっかり対応できる、お客様に評価される商品を提供できれば、為替とか環境が変わっても、そんなに影響を受けることはない」と話しています。
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