RESTA社長の松川力也さん=福島県須賀川市栄町の本社で2025年10月9日、根本太一撮影

 福島県のJR須賀川駅前に、障害者の「就労移行支援」事業を営む会社がある。本社を東京・渋谷から6月に移転し、9月には福島県天栄村に県内2カ所目の運営拠点を開いた。「RESTA(リスタ)」という社名には、身体に障害があっても「RESTART(再出発)して、やがてはSTAR(星)のように輝く」という思いが込められているという。社長で須賀川市出身の松川力也さん(26)に話を聞いた。【聞き手・根本太一】

 ――就労移行支援とはどんなことをするのでしょうか。

 ◆一般企業への就職を希望する障害者にパソコン操作や、時にはプログラミングも学んでもらい、一方で受け入れ先を開拓して就職後のケアも担う事業です。2022年6月に創業し、この1年間に須賀川と渋谷で20~50代の計25人ほどが上場企業の子会社や病院事務など健常者と同じような職に就けました。在宅勤務と出社する勤務の割合は3対7ぐらいです。スキルをアップして大手に転職し、年収が400万円を超えた人の例もあります。

 ――どういう方法で学ぶのでしょう。

 ◆基本はオンラインです。利用者はビデオ通話でバーチャル(仮想)空間に入って講師陣らとマンツーマンで相対する。教室も自習室も、模擬面接に使うスペースもあります。パソコンは貸与だし、障害のある人が在宅で学習する環境として最適だと思っています。

 ――利用料は高いのでしょうか。

 ◆世帯収入がある人を除けば、ほとんどの人が無料です。それで会社経営が成り立つのか疑問ですよね。利用者数に応じて行政から給付金が支払われるんです。利用者は就職の機会に近づけ、企業は障害者雇用を増やし、国の立場からすれば障害者の自立に加えて納税者も増やせる仕組みです。

 ――そもそも事業を起こそうとしたきっかけは何ですか?

 ◆僕は身長185センチと体が大きくて、野球少年だったのですが、中学3年生の時に脳内出血を発症して左半身まひになってしまいました。生まれつき脳の血管に問題があったらしいんです。スマートフォンで「障害者 年収」と検索したら「120万~180万円」と出て、コメント欄には「使えない」。子どもながら心にむち打たれたように感じました。

 せめて、つえ無しで歩けるようにと高校の夏休みに都内の専門病院でリハビリに励んだんです。そこで周りの大人たちに刺激されました。絶対に美容師の職に戻るんだとか家族を養わなければとか、絶望どころか挑戦する気概にあふれている。高3の時には努力する人が報われる社会を目指して起業するんだと決めていました。

 言語聴覚士の資格を取って総合病院や福祉施設に勤めました。夜間は駐車場警備のアルバイトをしながらITを学ぶ学校でプログラミングなどを覚え、睡眠は1日2~3時間の日々を送りました。その頃、起業家の卵たちが集まるシェアハウスで暮らしていたんです。

 ――そこでも大いに刺激を受けたと。

 ◆みんな目標が明確で、「世界と戦う」とまで言うんですよ。視座が高まりましたね。僕は当初、無謀にも自己資金3万円で合同会社を設立したんです。事業を拡大するには株式会社化する必要があり、仲間に紹介された投資家らにプレゼンを繰り返して200万、500万、2500万円と資金調達して業績を伸ばしてきました。

 ――本社を須賀川に移した理由を聞かせてください。

 ◆古里であるだけでなく、格差の解消が目的です。地域間の情報格差は激しく、障害者がビジネスレベルのパソコン操作などを学べる施設は大都市に集中しています。地方の、特に交通アクセスが不便な地域にはほとんどありません。今はオンラインで学べ、在宅勤務を認める企業も一部ですがあります。僕たちが築いてきた全国の企業のネットワークを生かし、地方の障害者の誰しもに平等な可能性を広げたいんです。来年12月までに福島など東北エリアに、さらに3拠点を開所していく計画です。

 RESTAは、いわゆる「ゼブラ企業」の一つです。ゼブラ(シマウマ)模様は相反する白と黒。地域社会が抱える課題の解決と、企業としての成長を両立させるのは、なかなか難しいんですね。解決だけを追えばNPO法人という形が主流の考え方ですが、RESTAはそれをビジネス化し、社会全体の意識の底上げを図りたい。26年度の決算では年商1億円が目標です。

 ――ご自身は輝いていると思いますか?

 ◆はい。ただ、僕はもっと輝いていけると信じています。障害を持って初めて「当たり前のことを当たり前にできるありがたさ」が身に染みました。皆さんと一緒にハードルを乗り越えていきたいと思います。

まつかわ・りきや

 1999年生まれ。岩瀬農高、国際医療看護福祉大学校卒。言語聴覚士。2022年6月にRESTAを合同会社として創業、同12月に株式会社化した。須賀川市と天栄村、東京・渋谷に拠点を構える。中学3年生時の脳内出血によって左半身がまひし、砲丸投げ競技でパラリンピック出場を目指したことも。

記者の一言

 年明けには65歳になる。毎日新聞を「卒業」した後、どう生計を立てていけるのか悩ましいところだが、松川さんの「再出発して星に」という言葉は一つの羅針盤のように思えた。それにしても3万円で起業し、来年度に目指す年商は1億円という覇気に、小心者の私はただただ敬意を抱くばかりだ。

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