東京での過労死等防止対策推進シンポジウムに出席するため、香川県から羽田空港に到着し、大きなリュックやスーツケースを持って移動する高橋幸美さん=東京都大田区で2025年11月5日、佐々木順一撮影
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 2015年のクリスマス。電通で過酷な長時間労働に苦しみ、高橋まつりさん(当時24歳)が自ら命を絶った。

 「電通事件」から10年を迎えてもなお、母の幸美さん(62)は警鐘を鳴らす。「残念ながら今も、たくさんの人が仕事が原因で命を失ったり、病気になったり苦しんでいます」

 過労死等防止啓発月間の11月、幸美さんは活動に奔走した。4日は香川県で講演し、翌日に飛行機で東京に移動。羽田空港から電車を乗り継ぎ、霞が関でのシンポジウムに滑り込んだ。右手でスーツケースを引き、背中の大きなリュックには資料が詰まっていた。

 18日は三重県で講演した。「娘は今も生きて幸せな人生を送っていたと思うと、悲しくて悲しくてたまりません」。生きていれば34歳を迎える娘への思いを吐露した。「高橋まつりさんは特別だったんじゃないかと言う人もいます。彼女は弱かったからだと言う人もいます。この国で過労自殺で亡くなっているのは娘だけではありません」。若い人や中間管理職が集まった会場で、母の声は震えていた。

 幸美さんは娘の性格を「ハングリー」と称する。遺影から受ける印象とは違い、母から聞くまつりさんの印象は、強くたくましい。裕福な家庭ではなく、特待生を条件に中学受験し、入学後も成績上位で授業料免除を維持。大学受験は学校の期待を背負って東大に合格した。

 だからこそ、電通でも手を抜くことはできなかった。連続での深夜労働や徹夜勤務、上司から「君の残業時間は無駄」「女子力がない」などのハラスメント発言で心を痛めても辞めなかった。過重労働で精神的に追い詰められた末、「逃げる」という理性的な判断ができなくなっていた。

 幸美さんは10年を振り返り、「日本から過労死がなくなると期待していたけど、昔と変わっていないんじゃないかな」とつぶやいた。手には娘の写真が保存されたスマートフォン。まつりさんのほほ笑みが切なく感じた。

 昨年度、過重労働や仕事のストレスによる死亡や病気と認定された労災の件数は1304件。過去最多となった。【写真・文 佐々木順一】

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