日本が太平洋戦争に敗れて80年の節目である2025年、山陰に残る戦争の体験や記憶を映像で残す企画を毎月、放送しています。

11月26日はいま最もホットな人物にスポットをあてます。
取材した福村記者です。

福村翔平記者:
今回取り上げるのは現在放送中の朝ドラで脚光を浴びる小泉八雲、ラフカディオ・ハーンです。「昭和の戦争」と「明治期の文豪」、一見無関係に思えますが、掘り下げてみると意外なつながりがありました。

小泉八雲=ラフカディオ・ハーン。
『古事記』の英訳本に触れたことをきっかけに1890年、明治23年に来日。
松江などに滞在しながら『怪談』をはじめとした多くの著書を残し、日本の文化を広く海外に紹介しました。こうした八雲の著書を愛読していた1人のアメリカ人がいます。

ボナー・フェラーズ。
敗戦直後の日本を統治した連合国軍最高司令官総司令部・GHQのトップ・マッカーサーの最側近です。
八雲のひ孫・小泉凡さんによると、フェラーズは熱心な「八雲ファン」だったといいます。

小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
140冊、ハーンの本を持っているって言っているんですよ。
それを全部読んだんだって。オタクの域ですね。

そんなフェラーズが戦後日本の統治にあたり、マッカーサーから与えられた任務が…。

「昭和天皇の戦争責任を問うべきか報告せよ」

占領政策の根幹をなす「天皇の戦争責任」の判断です。
その際、フェラーズが参考にしたのが八雲の遺作です。

日本研究の集大成として日本人の精神性を説いた『日本:一つの解明』。
この中で八雲は「日本人の祖先崇拝と天皇崇拝は密接に結びついている」と分析し、日本人にとって天皇の存在がいかに特別なものかを論じています。

小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
(日本人は)敬愛の祖先信仰を強く持っていて、それと同じように天皇陛下や、あるいは天皇家の祖先神への強い信仰も日本人は持っていると。
天皇や皇室への敬愛の念というのは祖先信仰と不可分に結びついているというような、そういう理解をしてたんですね。

フェラーズはマッカーサーに対し「天皇の戦争責任を問えば統治機構は崩壊し、全国的反乱は避けられない」と進言。
これを受けて「天皇の免責」と「天皇制の存続」が決まりました。

八雲の著書がフェラーズの判断材料になったとされています。

小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
天皇を訴追するようなことがあれば、おそらく民衆が精神的に混乱するだろう。それは絶対に避けなければならないという判断が基本的にあったと思う。

福島睦アナウンサー:
戦後、日本のあるべき姿を決めたボナー・フェラーズ、そしてそのフェラーズに多大な影響を与えたのが小泉八雲だったんですね。

岡本楓賀アナウンサー:
八雲は明治時代の文豪なので戦争とは縁遠いと思っていました。

福村翔平記者:
昭和の戦争にも間接的に影響を与えたわけですが、八雲が生きた明治時代は日清戦争や日露戦争から分かるように日本が急速に軍事化を進めた時代でもあります。八雲が対外戦争に打って出た明治期の日本をどう捉えていたのか「八雲の戦争観」についても聞きました。

Q.八雲は日清戦争をどう見ていた?
小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
けっこう日本が勝つってことは喜んでるんですよ。
我慢して我慢してという日本人の力が日清戦争でも勝利に導いたんじゃないか、みたいなことも言っていますね。

日清戦争後には著書の中で日本の戦いぶりについて次のように振り返っています。

「宣戦の初めから終局の勝利についてはいささかの疑いも抱かなかった」
「日本の余力は恐らく従来認められていたよりも勝っている」

その一方で、さらなる軍国主義に突き進むことに警鐘を鳴らしていたといいます。

小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
いつも日本を応援する立場なんですけれども、これによって日本が過信するってことが一番危険なことだと。根拠のない自信っていうのを日本は持っている。これが極めて危険なことだっていうことは、ちゃんとしっかりと指摘してますよね。

先ほどの著書の中でも次のように指摘していました。

「日本の海軍部内には三国(仏・独・露)を敵として戦わんとする熱烈な希望もあった。そうなった曉には偉い戦争であったろう。日本の司令官には夢にも降服するなどという者は無く、日本の軍艦に艦旗を降ろす樣な事は決してないから」

福島睦アナウンサー:
八雲は日本が国力増強のために戦争へと突き進んでいくことを予期していたんですね。

福村翔平記者:
先見の明があったといえます。
このように日本で近代国家への転換期を経験したことが著書の中にも反映され、そしてボナー・フェラーズにもつながっていたというわけです。
ところで、フェラーズと八雲、生きた時代は違いましたが、フェラーズは八雲の子孫と長年関係を持ち続けました。
最後にその交流から生まれたこぼれ話を紹介します。

Q.フェラーズと小泉家は、どのような関係が続いていたのでしょうか。
小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
最後、アメリカに戦後処理を終えて帰る時は、やっぱり八雲の墓参りがしたいということでね、一緒に墓参りをうちの家族としてるんですね。

ボナー・フェラーズは帰国後も八雲の長男・一雄と300通を超える手紙のやりとりをするなど交流は生涯続きました。
その関係性を裏付ける珠玉のエピソードが…。

小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
あなたのボナーのお名前の半分を使わせてもらって「ボン」ってつけていいでしょうかっていう許可を願う、そういう手紙も書いていますね。

凡さんが生まれた1961年7月に祖父・一雄がボナー・フェラーズに送った手紙には…。

「孫が誕生し、BONと名付けました」
「あなたの名前からいただくことを許してほしい」

実は「BON(凡)」さんの名前は「BONNER」に由来していました。

小泉八雲のひ孫・小泉凡さん:
祖父が、1番敬愛する友人のボナーフェラーズのボン。
ボンを取って、初孫だからって言って私につけてくれたんですね。

福村翔平記者:
最後に心温まるエピソードを紹介しました。
八雲といえば「怪談」が有名で、朝ドラでも注目されていますが、凡さんはほかにも多くの著書を残し、各方面に大きな影響を与えたという功績をこの機会に、ぜひ知ってほしいと話していました。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。