
【ホノルル=共同】太平洋戦争の発端となった日本軍による米ハワイの真珠湾攻撃から84年となった7日(日本時間8日)、湾に面した公園で戦死者を追悼する記念式典が営まれた。退役米軍人や市民に加え、終戦80年に合わせ訪米している長崎の被爆者団体代表団も参列。スザンヌ・バレスラム元陸軍少将は「(当時の体験は)過去の遺物ではなく、未来への教訓だ」と述べた。
米海軍などが主催し、約3千人が出席。攻撃開始時刻の午前7時55分(同8日午前2時55分)に黙とうをささげ、約2400人の死者を悼んだ。主催者によると、米側で存命しているのは12人で参列した人はいなかった。
長崎県被爆者手帳友の会会長の朝長万左男さん(82)は取材に「歴史を克服し、日米が80年続く平和を維持していることに感動した」と話した。
海軍で船の修理などを担った退役軍人レオン・アンステッドさん(102)は「戦争は罪だ」と言葉少なに語った。日系人部隊の陸軍第442連隊、第100歩兵大隊に所属したというタカシ・マナゴさん(101)は「敵国だった日米が今は素晴らしい同盟国になった。若い世代がこの幸せをつなげてくれたら」と願った。
日本からは、攻撃を指揮した連合艦隊司令長官山本五十六の故郷で、ホノルル市と姉妹都市関係にある新潟県長岡市の磯田達伸市長も出席。1945年8月の長岡空襲に触れ「互いに加害者で被害者なのが戦争。反戦のメッセージを発信していきたい」と話した。長年現地で慰霊活動を続けてきた静岡市の医師菅野寛也さん(92)も参加した。
41年12月7日、日本軍は真珠湾の米軍基地や艦隊を攻撃。米側は大きな被害を受け、日本側も60人余りが死亡したとされる。米国は翌8日、日本に宣戦布告した。
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