不審な金の流れ

「送金元はイエメンの貿易会社ですが、口座が開設されたのはわずか10日前です」
「この8日間で6回の金融通信取引があり、振り込み総額は900万ドルを超えています」
アメリカのドラマ「CIA分析官ジャック・ライアン」の一コマです。
かつてウォール街で勤務経験があったジャック・ライアンが所属するのはCIAの「テロ資金・武器対策課」。あるパターンを繰り返す不審な金の流れを追ううちに、新興勢力のテロリストを見つけだし、攻撃を未然に防ぐため、最前線で活動するというストーリーです。
これはフィクションで、実際のCIAの内幕は分かりませんが、こうしたテロ資金対策が日々、行われているのだろうと想像してしまいます。
アメリカの“象徴”が倒壊した日
アメリカ同時多発テロ事件は2001年9月11日に起きました。
4機の旅客機がハイジャックされ、このうち1機が午前8時46分にニューヨーク・マンハッタン南部の世界貿易センタービルの北棟に激突、17分後の午前9時3分には隣の南棟に別の旅客機が激突しました。
ともに110階建ての2つのビルは崩壊し、ビルにいた人に加え、かけつけた消防士や警察官も巻き込まれ、ワシントン近郊での国防総省への攻撃などを含めておよそ3000人が犠牲となりました。

異様な光景
当時、私は経済部記者として現地ニューヨークに出張し、この事件の影響を取材しました。
崩落したワールドトレードセンターのエリアは立ち入りが厳しく規制されていて入れませんでしたが、マンハッタン南部の通りまで行き、夜、現場の方を見ると行方不明者の捜索のためのライトの光で空が黄色く光っていて、そこに粉塵が大量に舞い上がっているのが見えました。
異様な光景が目に焼き付いています。

資金がいかに流れ込んだのか
テロの首謀者オサマ・ビン・ラディンと国際テロ組織アルカイダはどのようにしてこの凶行に及んだのか。
巧妙な資金移動やマネーロンダリングによって潤沢な資金を手にしていたことは大きな要素だとされています。
マネーロンダリングとは英語ではmoney launderingと書きます。「お金」+「洗濯」で、口座を転々とするうちに汚れた怪しいお金が洗濯されて、きれいになったように見え、出所が分からなくなることを指します。

アメリカの独立調査委員会が2004年にまとめた報告書では、アルカイダはサウジアラビアなどにある、外部監視が甘く、内部統制がきいていない慈善団体からの資金調達をしていたことが記されています。
そして「ハワラ」と呼ばれる信頼と血縁で成り立つイスラム特有の非公式の金融システムで頻繁に資金を移動していたといいます。
9・11のテロ攻撃を計画、実行するのにかかった費用は40万ドルから50万ドル(日本円でおよそ5900万円から7400万円ほど)だったと、この報告書は指摘しています。

マネロン資金 今も世界で最大で年間300兆円
事件後、世界各国はマネーロンダリングの対策を強化しましたが、今だ、こうした金の流れは途絶えてはいません。
UNODC=国連薬物犯罪事務所の推計では世界全体でマネーロンダリングされている額は、年間で世界GDPの約2~5%、8000億ドルから2兆ドル、最大で300兆円近くにも及ぶとされています。

韓国で暗号資産がアルカイダ系組織に?
最近でもマネーロンダリングの事例は毎年のように発覚しています。
韓国では、ウズベキスタン国籍のA氏が韓国に入国し、2021年から2022年にかけて、アルカイダ系のテロ組織、KTJ(=カティーバ・アル・タウヒード・ワル・ジハード)に20回にわたり、400万ウォン相当の暗号資産や金品を支援したとして起訴され、2024年、有罪判決を受けました。
韓国の連合ニュースによりますと、KTJは2016年の駐キルギス中国大使館での自爆テロや2017年にロシア・サンクトペテルブルクで起きた地下鉄爆弾テロの背後にいた黒幕として名指しされていて、国連は2022年3月、KTJをテロ組織に指定していたといいます。

ヨーロッパでは巨額のマネロン
デンマークのダンスケ銀行。そのエストニア支店で長年行われていたマネロン事件は世界を震撼させました。2008年ごろから2016年ごろにかけて、ロシアなどにいる非居住の顧客に対してひそかにマネーロンダリングを行っていたというのです。
アメリカ司法省が公表している資料によれば、こうした非居住の顧客向けの銀行サービスは支店の利益の50%以上を生み出したと書かれていて、高い利益に目がくらみ、銀行員が長年に渡って不正に手を貸していた構図が浮かび上がります。

2022年12月にこの銀行はアメリカ司法省に銀行詐欺の罪を認めたうえで、アメリカとデンマーク当局に総額20億ドルの罰金を支払うことで合意しました。
エストニアからロシアなどに渡った資金がいったいどこに流れ、何に使われたのかは捕捉できません。
中東情勢でも複雑なマネーの流れ
2023年10月7日にイスラエルを大量のロケット弾で攻撃したイスラム組織ハマス。これだけの武器を調達するには巨額の資金が必要です。
金融犯罪を取り締まるアメリカ財務省のFinCEN=金融犯罪取り締まりネットワークは、ハマスのイスラエルへの攻撃はイランからの支援、個人からの寄付、暗号資産を使った資金調達キャンペーンなど、さまざまな手法による資金提供があったと分析しています。
そして、現金の密輸に加え、共謀する送金業者や両替所、ヒズボラ系銀行からなる地域ネットワークを通じて資金を移動させているとしています。

2025年3月、アメリカ司法省はハマスへの資金提供目的として保有されていた暗号資産20万ドル相当を押収したと発表しました。
暗号化された通信プラットフォーム上で世界中のハマス支持者に17の暗号資産アドレスが共有されたとのこと。暗号資産を使って複雑なやりとりをしていたことがうかがえます。
日本も無縁ではいられない
日本はマネーロンダリングやテロ資金と無縁なのかというと、そうとも言えない現状があります。
警察庁がまとめている金融機関などから報告がある「疑わしい取引の年間通知件数」はコンプライアンス意識の高まりなどもあるとはいえ、右肩上がりです。2024年度で84万件もの報告があがっています。
警察庁に取材すると、日本でも過激派組織IS=イスラミックステートの関係者と連絡をとっていると称する者や、支持を表明する者が存在しており、過激思想を介して緩やかにつながるイスラム過激派組織のネットワークが日本にも及んでいることを示していると説明します。

私たちにできること
私たちはどうやったらこうしたテロ組織への資金の流れやマネーロンダリングを断ち切ることができるのでしょうか。一見遠い話のようですが、できることはあります。
身近な例ですが、特殊詐欺や投資詐欺、ロマンス詐欺などでお金をだましとられないようにすることが大事だといいます。こうした犯罪で得られた収益はマネーロンダリングされ、結果として組織の活動を助長することになると警察庁は警鐘を鳴らします。
また、安易な気持ちから口座をつくってそれを小遣い稼ぎで他人に売るような行為は犯罪であり、こうした口座がマネーロンダリングに使われるおそれもあるといいます。

さらに金融機関は不正送金などを防ぐため、口座開設や送金などで顧客に細かい質問をするそうです。金融庁では嫌がらずに銀行員の質問に答えて協力をしてほしいと呼びかけています。
金融機関の細かい質問に答えることで、都合の悪い、犯罪者たちの行動を浮き彫りにすることができ、結果として犯罪組織やテロ組織に資金が流れ込むのを防ぐことにつながるというのです。
マネロン界の“特捜部”が動く
世界の当局はマネーロンダリングにどう対峙しているのでしょうか。
主導的な役割を担っているのが、世界各国のマネーロンダリング対策を審査しているFATFという組織です。マネロン界の「東京地検特捜部」とでもいうべき、厳しい組織として知られ、日本を含む40の国と地域、2つの地域機関が加盟し、マネロン対策に漏れがないかどうか鋭くチェックしています。
FATFは2019年、暗号資産にもマネーロンダリングを防ぐ送金ルールを導入するよう各国に勧告しました。「トラベルルール」と呼ばれるもので、暗号資産を送る側と受け取る側が顧客情報を共有することを義務づけるというものです。
勧告を受けて日本では2023年6月に犯罪収益移転防止法が施行され、このルールが動き出しました。ただ、抜け穴も多いと指摘され、このルールだけで完全に暗号資産のマネーロンダリングを防止できるわけではありません。

国際送金の規制強化策も
また、FATFはマネロン対策として、2025年6月、国際送金の規制を強化する勧告を出しました。
金融機関や資金を移動する業者に、送金人の氏名や口座番号に加えて住所や生年月日の情報を受け取る側に通知することを義務づけるというものです。誰から誰への送金なのか、明確にするねらいです。
こうした規制強化の背景には、銀行以外に海外送金サービスの利用が拡大していることがあります。「バルク送金」と呼ばれる仕組みで、小口のお金をまとめて決済することで送金手数料を安く抑えることができる特徴があります。
ただ、この仕組みを使うと、個々のケースで送金した人と、受け取った人の情報が不透明になるというリスクがあるのです。FATFとしては、いわば「顔の見えない」送金を抑えたいとの考えから、送金に際して情報量を増やすことでマネーの行き先を追跡しようとしていて、2030年以降の適用となる見通しです。

2度と大切な人を失わないために
ニューヨーク・マンハッタンの郊外にあるウェストチェスター郡は都心部のオフィスに通う人たちのベットタウンとして知られています。そのウェストチェスター郡のダム湖近くの公園にも9・11の慰霊碑があります。
一般の人にはあまり知られていませんが、私はニューヨークに駐在中、この慰霊碑を訪れたことがあります。この地区で暮らしていた日本人の名前も慰霊碑には刻まれていて、家族の思いのつまったメッセージが英訳されて添えられていました。
ニューヨーク駐在中に突然、命を奪われた日本人のことを思うと、胸が締めつけられるような思いがしたことを思い出します。
2度と大切な人を失わないためにもテロ組織や犯罪組織に資金が回らないようにしなければなりません。小さなことでいいので、私たちができることを1つずつやっていくことの重要性を改めて感じました。

(9月11日午後LIVEニュースーンで放送予定)
豊永 博隆
1995年入局 経済部 アメリカ総局(ニューヨーク) おはBizキャスター
大阪局デスク 国際部デスクを経て現職 金融、通商政策、アメリカ経済など幅広く取材
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