首都キーウの地下鉄で運転士を務めていたセルヒー・ズバリエフさんは、ロシアによる軍事侵攻を受けて陸軍に志願し、おととし6月、ウクライナ東部ドネツク州の前線で作戦に参加していた際、ロシア軍の捕虜となりました。

ズバリエフさんは収容所で、ロシア軍から両足にあわせて16発もの銃弾を受けたと証言し、「そのときは出血があまりに多く、何も考えられなかった。銃撃の際に彼らは何か言ったりするわけでもなく、ただおもしろがっていた」と振り返りました。

また、ロシア軍は、顔を殴るなどの拷問も加え、所属部隊が持つ装備品などについて聞き出そうとしていたということです。

その後、十分な処置が受けられず、銃撃された左足は傷が悪化した末に切断されたといいます。

おととし9月に捕虜交換で解放され、キーウに戻ってからは、義足を使いながら地下鉄の運転士への復帰を目指して生活していますが、今も足が痛む感覚が残っているということです。

ズバリエフさんは「こうしたことが起きていると世界に知ってほしい」と話した上で「必要なのは裁判であり、賠償だ。ロシアが行ったすべてのことに対して、責任者の裁判を求めたい」と訴えていました。

ウクライナでは、ロシア軍による捕虜の虐待や拷問について世界に知ってもらう目的で、ロシア側の収容所に関する情報を集め、インターネットで公開する動きも出ています。

ウクライナ「捕虜たちの経験は信じがたいもの」

ウクライナ内務省傘下の部隊「アゾフ旅団」はことし、新たなウェブサイトを開設し、報道などで確認された捕虜収容所の情報をウクライナ語、ロシア語、それに英語で公開しています。

サイトによりますと、捕虜となったウクライナ兵が拘束されている収容所は、▼ウクライナ東部ドネツク州のロシアの占領地や、▼国境を接するロシア南部ロストフ州のほか、▼ウクライナから東に3000キロほど離れたシベリアの都市にも設置されているということです。

こうした収容所では捕虜を棒で殴ったり、電気ショックを加えたりといった虐待が行われているとしています。

また、「捕虜交換で解放される」と本人を外に連れ出したあとにうそだと明かしてからかい、精神的な苦痛を与えるようなケースもあるということです。

収容所では、負傷者の手当てが拒否されるなど、医療環境も劣悪だと指摘しています。ウェブサイトの運営者によりますと、収容所は300以上あるとみられていて場所の特定などを急ぎ、随時公開していきたいとしています。

運営メンバーで法律家のネストル・バルチュクさんは「21世紀のヨーロッパでこんなに苦しんでいる人たちがいるということを私たちの支援国などが知ることは重要だ。捕虜たちの経験は信じがたいもので捕虜交換は外交上の議題として優先されるべきだと思う」と述べ欧米各国などにもっと関心を寄せて欲しいと訴えていました。

捕虜への拷問や虐待 告発する動き相次ぐ

ロシアが2022年に軍事侵攻して以降、ロシア軍、ウクライナ軍の双方が多数の兵士を捕虜として収容し、一部が交換などによって帰還しています。

ことし5月には、両国の直接協議による合意を受けて、1000人ずつの大規模な捕虜交換が行われ、その後行われた直接協議でも新たな捕虜の交換で合意しました。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、7月末までに6000人以上がロシア側から解放されたと明らかにしています。

一方、捕虜に対する拷問や虐待を告発する動きも相次いでいます。

ウクライナで人権状況を調査している国連の人権監視団は、去年、解放された捕虜への聞き取り調査を実施した結果、ロシア当局が捕虜に対して拷問や虐待を組織的に行っているとする報告書を発表しました。

また、AP通信は、ことし5月までに少なくとも206人の捕虜がロシア側に収容されている間に死亡したと伝えています。

中には、臓器が取り除かれた状態で返還された遺体もあり、死因の特定が難しいケースもあるということです。

6月には、解放された兵士の腹部にロシア語で「ロシアに栄光あれ」と焼き付けられていたことが明らかになったほか、額に「かぎ十字」のマークが刻まれた兵士もいたと伝えられています。

ウクライナでは、捕虜の問題に関する集会が各地で行われていて、このうちことし7月に首都キーウの中心部で行われた集会では死亡した捕虜の家族がスピーチを行うなどして捕虜の扱いをめぐるロシア側の責任を追及すべきだと訴えていました。

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