自信があった。体力的にも精神的にもタフだと思っていた。それでも、子育てをするうちに追い詰められていった。誰に相談していいのか分からなかった。
岩手県紫波町の理学療法士、豊田舞子さん(38)は2025年4月、JR紫波中央駅前に子育て中の母親など女性の心と体を癒やすサロンを個人で開設した。
「一人でも多くのママたちを笑顔にしたい」。子育てで感じた孤立感やつらかった経験が開業の原動力になった。サロンの名前はsitoa(シトア)。フィンランド語で「つながり」を意味する。育児や母親自身の体の悩みを気軽に相談できる場所になることを目指して経営している。
豊田さんは岩手県洋野町出身。同居していた祖父は仕事中の事故で脊髄(せきずい)を損傷、車椅子で生活していた。車椅子に乗せたり、一緒に買い物に行ったり、介護することは身近だった。
「医療、福祉の道に進みたい」と幼いころから考えていた。青森県立保健大に進学し、理学療法学科で学んだ。卒業後は岩手県医療局に就職。理学療法士として、宮古、久慈、盛岡の県立病院に25年3月まで計15年勤めた。
「歩けるようになりたい」「自宅に帰って生活したい」。入院患者の希望を聞いて、運動メニューを考え、元の社会生活を可能な限り取り戻せるようにリハビリをした。
結婚は26歳の時。小学1年の長女(7)と幼稚園児の長男(4)を働きながら育てている。妊娠中、おなかが張ったり、動くことがつらかったりしても「ちょっと休みたい」と言えなかった。体重の重い患者の介助や力仕事を免除してもらうなど職場で配慮してもらっていたからこそ、遠慮して言い出せず、我慢して働くこともあった。
長女の出産前、切迫早産気味で安静を余儀なくされ、気持ちの落ち込みがあった。出産後にはホルモンバランスが急激に変化。体のあちこちが痛み、赤ちゃんの世話で眠れず、ふいに涙がこぼれたり、塞ぎ込んだりした。「医師に診断されたわけではないけれど、あの時は産後うつだったと思う」と振り返る。
「何でも一人でやろうとしていた。良いお母さんでなくてはいけないと考え、子育ても完璧にやりたかった」と豊田さん。母親から「自分で自分を苦しめているんじゃない? 何かを手放したら」と助言され、「人を頼ってもいいんだ」と思えた。
何を手放したのか。家事や育児は夫、両親、近所の人など頼れる人に頼った。負担を一人で背負わず、疲れや不満をため込まないようにした。時には一人で入浴し、仕事帰りに一人でコーヒーを飲み、自分をいたわる時間を確保した。
出産するまで病気やけが、精神的な不調とは無縁だった。医療関係の仕事をしていたこともあって「産後に追い詰められる精神状態が想像できなかった。自分は大丈夫だと思っていた」。
サロンでは理学療法士の技能も生かして、オイルトリートメントをしている。オイルを肌に塗って自律神経を整え、こわばった筋肉を緩める。保育士による託児付きの日も月に1回程度設けている。
この他に、赤ちゃんと触れ合うベビーマッサージや離乳食の講座、赤ちゃんと母親の撮影会、親子で参加できる爪の手入れやクリスマスカード作りなどを開催。自分のことは後回しにしがちな母親たちが疲れを癒やし、自分のために時間を使う場所を提供している。
サロンで12月10日に開かれた撮影会に、岩手県花巻市の河村真憂さん(32)は参加した。2回目の参加で、前回は11カ月の長男凌久(りく)君が撮影中ずっと泣いていた。「今回はいい写真がいっぱい。子どもの成長を残せるのはうれしい」と笑顔だった。
撮影会はかけがえのない親子の瞬間を記録に残してほしいという願いから始まった。幼い子どもは足形か手形を取って、写真に添える。撮影を担当する十川真衣さん(36)も小学1年の男児(7)の母親。「子どもたちは、ただひたすらかわいい。この時期にしか撮れない写真がある」と言い、「かわいい」を連発しながらシャッターを押した。
豊田さんには夢がある。「人生の中で変化が大きい産後の時期をきっかけに、すべての女性が生涯を通して自分らしく過ごせる社会にしたい」。将来は小児科医、看護師、保育士、栄養士、助産師らとつながり、サロンで悩みを打ち明けてくれた子育て中の女性と専門職との橋渡し役になることを思い描いている。【山田英之】
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