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日本サッカー協会の元副会長の釜本邦茂さんが、8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、亡くなった。

釜本さんは1944年4月15日、京都府生まれで府立山城高校、早稲田大学を経て、ヤンマー入り。
早稲田大学時代は、4年連続関東大学リーグの得点王。JSL(ヤンマー)では、251試合出場、202得点を記録。1968年敢闘賞を受賞した。
得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、年間最優秀選手賞7回受賞し、様々な前人未到の成績を残す。

日本ユース代表として、第4回、第5回アジアユース選手権大会に出場。

日本代表として、第18回オリンピック競技大会(1964/東京)、同第19回大会(1968/メキシコシティー/3位)に出場し、メキシコ大会では7得点を挙げ、得点王に輝く。

メキシコ五輪3位決定戦日本対メキシコでシュート放つ釜本選手(1968年)

また、第5回アジア競技大会(1966/バンコク/3位)、同第6回大会(1970/バンコク/4位)、同第7回大会(1974/テヘラン)にも出場し、Aマッチ出場数は76試合、歴代最多となる75得点を記録した。

1978年、ヤンマーの監督就任し、1984年の現役引退まで選手兼監督を続ける。
その間、JSL1部リーグ優勝1回、JSLカップ優勝2回を成し遂げる。
1991年、Jリーグ入りする松下電器(ガンバ大阪)の監督に就任し、1995年に退任した。

1998年、日本サッカー協会副会長就任。
2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会理事、2002年強化推進本部長をつとめ、大会の成功と日本代表の強化に尽力する。
1995年、参議院議員選挙初当選。2000年、第二次森内閣において労働総括政務次官を務める。
2005年、日本サッカー協会殿堂に掲額した。

釜本邦茂副会長(写真右)(2006年) 広告

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