女子駅伝日本一を決めるクイーンズ駅伝(11月23日・宮城県開催)の予選会であるプリンセス駅伝 in 宗像・福津が19日、福岡県宗像市を発着点とする6区間2.195kmのコースに31チームが参加して行われる。上位16チームにクイーンズ駅伝出場権が与えられる。
昨年のパリ五輪5000m代表だった樺沢和佳奈(26、三井住友海上)が、長期間のケガから復活してきた。9月の全日本実業団陸上5000mで日本人トップの10位(15分32秒90)。この冬はマラソン出場も見据えているが、まずは昨年苦い思いをしたクイーンズ駅伝で、チームに貢献することが一番の目標だ。そのためにプリンセス駅伝で弾みを付ける。

一時は引退も考えるほど故障に苦しんだシーズン

全日本実業団陸上5000mで「もう少し行けましたね」という感触も持ったが、樺沢にとって「久しぶりのレース」ということを考えれば合格点。「15分35秒を切ることと日本人トップ」が目標で、その両方を達成した。

学生時代の1500mから距離を伸ばし、23~24年は5000mで15分20秒前後を安定してマーク(自己記録は23年の15分18秒76)。パリ五輪代表を決めたが、座骨神経痛が出ていた影響で本番は15分50秒86で予選を通過できなかった。


昨年のプリンセス駅伝とクイーンズ駅伝も、座骨神経痛を抱えながら出場した。成績などは後述するが、座骨神経痛も良くなっていたので今年1月から米国のチームでトレーニングを積んだ。メダリストもいるチームで、樺沢にとっては「異次元のスピードと量」という練習だった。樺沢も2か月間頑張ったが右大腿骨が悲鳴を上げた。現地でMRIを撮ると疲労骨折していることが判明。予定を半月短縮して3月上旬に帰国した。

2か月で良くなると言われたが、「4か月ちょっと足踏み」した。座骨と大腿部、2箇所が痛い経験はかつてなかった。「もう終わりなのかな」という気持ちが何度ももたげた。

6月末~7月初め頃から練習を再開し、8月に入って明るい兆しが見え始めた。「実業団連合の北海道合宿に参加して、痛みと付き合いながらでしたが走り込むことができました」。9月に入ってスピード練習もでき始め、「7~8割の状態でも15分30秒を切れれば」(鈴木尚人監督)という目標で全日本実業団陸上に出場していた。

来季の国際大会やこの冬のマラソン出場も視野に入っていたが、「駅伝でチームに貢献する」ことが大きなモチベーションだった。

不運が続いた昨シーズンの三井住友海上

三井住友海上は昨年のプリンセス駅伝が2位で優勝を逃し、クイーンズ駅伝は13位でクイーンズ8(シードとなる上位8チーム)を逃した。エース区間で不運が続いたことが原因だった。

プリンセス駅伝は3区(10.7km)の兼友良夏(24)が、2→3区の中継所に走り込んできた他チームの選手と接触して転倒、手首を骨折してしまった。途中から痛みがひどくなり、走り切ったが区間17位。チームは5位から9位に後退した。座骨の心配があった樺沢は6区(6.695km)に回ったが、21分29秒で区間賞を獲得。チームを5位から2位に引き上げ、優勝したユニクロに7秒まで迫った。

クイーンズ駅伝は3区(10.6km)に樺沢が入った。座骨神経痛の心配はあったが練習はできていた。25年の東京世界陸上を10000mで狙うプランもあり、10km区間を樺沢に任せたい気持ちがチームにあった。だが樺沢はウォーミングアップの段階から、座骨に痛みが出ていた。「できるだけ速く走りたい気持ちはありましたが、タスキをつなぐことが絶対でした。予定より設定タイムを落として走り出したんです。アドレナリンが出て痛みを感じなかったら、そのままガンガン行くつもりでしたが、走り始めたらダメでした」。

35分27秒で区間17位。チームも2区終了時で17位と良い状態ではなく、樺沢も順位を上げられず17位で4区に中継した。プリンセス駅伝とは逆に、手首骨折の影響で6区に回った兼友が区間2位と好走したが、13位に上がるのが精一杯だった。

樺沢、兼友とも昨年の悔しさを、今年の両駅伝で晴らしたい気持ちが強い。

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