第66回東日本実業団駅伝が11月3日、埼玉県の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場及び公園内特設周回コース7区間74.6kmで行われる。
今年の見どころは上位候補チームの多くで大物新人選手が走ることだ。前回3位のサンベルクスには吉田響(23、創価大出)が加入。大学1年時に箱根駅伝山登りの5区で区間2位と好走し、“山の神”を目標に走ってきた選手だが、大学4年時にはエース区間の2区で区間歴代2位、日本人歴代最高タイムの快走を見せた。実業団駅伝では新興チームのサンベルクスを、強豪チームに成長させることが期待されている。(ルーキー特集 3回/全4回)
第1区 13.1km 競技場2周+周回コース1周(4.1km)3周
第2区 8.2km 周回コース2周
第3区 16.4km 周回コース4周
第4区 8.2km 周回コース2周
第5区 8.2km 周回コース2周
第6区 8.2km 周回コース2周
第7区 12.3km 周回コース3周
最長区間でもスピード区間でも結果を出してきた選手
注目されている大物ルーキーはサンベルクスの吉田、GMOインターネットグループの太田蒼生(23、青学大出)、富士通の篠原倖太朗(23、駒大出)、ロジスティードの平林清澄(22、國學院大出)の4人。
吉田は「同学年は意識しています。駅伝でも個人でも活躍している選手がいっぱいいるので、自分も負けない走りを、勝っていく走りをしたい」と、同学年対決に意欲を見せている。
篠原、太田、平林の3人は出雲全日本大学選抜駅伝6区(10.2kmの最長区間)、全日本大学駅伝7区(17.6kmで2番目に長い区間)で直接対決をした。それに対し吉田は出雲が2区(5.8kmの最短区間)、全日本も2区(11.1km)と3人とは別区間に出走していた。
箱根駅伝だけが2区(23.1kmの最長区間)で篠原、平林と直接対決した。留学生選手に12秒届かず区間2位だったが、従来の区間記録を上回る歴代2位、日本人最高記録で走った。
箱根駅伝では長い距離の区間で学生トップの力を示したが、吉田は出雲2区で区間賞、全日本7区は区間賞と1秒差の区間2位。スピードも学生トップレベルあることを、昨シーズンの学生駅伝で実証している。
「(長い距離への持久力だけでなく)スピード持久力が自分の一番の強みで、長い距離なら(1kmあたり)2分50秒でしっかり押して行くことができます。短い距離では、昨年の出雲は2分43秒くらいで押して行くことができました。きつい状態でもペースを維持できることが武器になっています」
東日本実業団駅伝では、最長区間の3区(16.4km)でも、4区間ある最短区間(8.2km)でも力を発揮できる。吉田本人は「スピード区間でも走れるのですが、どちらかというとロングの区間が得意なので、長めの区間を走れたらいいな」と希望している。
吉田が強くなった理由は“クロカン”
吉田の成長や決断の背景として、“クロカン”が極めて重要な要素になっている。クロスカントリーは、ゴルフ場や丘の多い公園など、箱根駅伝5区ほどではないが、なだらかなアップダウンが多い地形を走る。欧米ではレースとして盛んに行われているが、日本ではトレーニングとして取り組むことが多い。
今年4月にプロランナーとなった吉田の専任コーチである瀧川大地氏(37)は、「最初の3カ月間はトラック0.5、クロカン9.5くらいの感覚で練習しました。吉田のこれからの10年を考えたときに、試合に出るよりまず、そこをやりたかった」と説明する。
吉田もクロスカントリーを走ることの効果を実感している。「傾斜の大きい裾野市の水ヶ塚公園を走ることもありますし、相模原のコースは細かいアップダウンがあって四頭筋が鍛えられます。山登りも平地もコアをぶらさないように走ることが重要になってきます。そのコアを鍛えることがクロカンではできるんです」
箱根駅伝では5区だけでなく、2区でも中盤の権太坂と、難所と言われる中継所前の“戸塚の壁”で強さを見せてきた。「どこまでのレベルを求めるかにもよりますが」と前置きをした上で、「同時進行で上りの走りも平地の走りも、かなり良いラインまでは行くと思います。それが今年は、例年より上手く進んでいます」
クロカンの重要性を認識したのが、大学1年時(当時東海大。3年時から創価大)に足底を故障したときだった。「他に5区候補がいなかったので、(当時東海大コーチだった)瀧川さんとマンツーマンでリハビリトレーニングをやり始めたのがきっかけでした。それまでは関節や骨にダメージが来やすいタイプでしたが、クロカンをやっていくうちに状態が良くなって、箱根の5区で良い走りができました」
吉田は大学1年時の箱根駅伝後に、卒業後はプロランナーの道を選択肢として考え始めたという。当時、プロランナーとして活躍していた選手もいたが、クロカンを続けるために考えたのがプロランナーの道だった。
「実業団チームに入ると練習環境が限られてしまうかもしれません。トレイル(舗装されていない山道や林道、河川敷などを走るアウトドアスポーツ)にも出場したかったので、プロが一番良いのでは、という考えを持ち始めました」
3年時の箱根駅伝後に、プロランナーになる決断を下した。4年時は覚悟が固まり、成績が上向いたと吉田は感じている。「選手として強くなりたいなら、(クロカン中心に練習ができる)プロという立場を自分で作っていかないと、この先やっていけない」
クロカンを最重要視したことで故障が減って成長しただけなく、プロランナーという道を自ら切り拓いていく決断ができた。
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