平野佳寿(オリックス)や北山亘基(日本ハム)などのプロ野球選手が巣立った京都産業大学に、プロ注目の最速153キロ右腕がいる。田村剛平投手(4年・報徳学園)。8月中旬、京都市北区にある京産大グラウンドに田村を取材するために向かった。(取材・文 MBSアナウンサー金山泉)

勢いのあるストレートとコントロールの良さ

秋季リーグ戦開幕を約3週間後に控えたこの日、京産大は社会人「日本新薬」とのオープン戦を行っていた。田村は2人目で登板し、5イニングを投げて、3安打無四球4奪三振2失点という投球を見せた。

田村の魅力は、勢いのあるストレートとコントロールの良さだ。スリークォーター気味の腕の位置から、常時140キロ台中盤から後半のストレートを、しっかり打者の両サイドに投げ分けていく。変化球の切れも鋭い。

この日は日本新薬の4番、右打者の若林に対してインコースに食い込んでいくスプリットで空振り三振を奪うと、続く5番、左打者の船曳に対してはバックドアのスライダーで空振り三振を奪い、2者連続三振とした。

「憧れの報徳学園」で甲子園目指した中高時代

出身は兵庫県宝塚市。「憧れていた報徳学園で甲子園に出場するため」、中学は報徳学園に進学した。報徳学園中時代は軟式野球部でプレーしていた田村だが、本人曰く「2番手のサードか、3番手ピッチャー」で、レギュラーを掴むことはできず、中学で野球をやめようかとも思っていた。

しかし報徳学園高で野球を続けることを決意すると、レベルが高い選手が集まる中、地道な努力を続け、2年秋にベンチ入り。3年夏は背番号11をつけ、準々決勝の東播磨戦では1失点完投勝利を収めた。

夢だった甲子園出場は果たせなかったが、一時野球をやめようかなと思っていた少年は、高3時には最速143キロをマークし、チームにとって欠かせない右腕に成長していた。

やめずに続けたからこそ田村投手の今がある

京産大入学後、ウェイトトレーニングや体幹トレーニングを継続的に取り組むと、球速はどんどんアップしていった。大学3年時に150キロの大台に乗ると、今年6月の大学野球関西オールスター5リーグ対抗戦で153キロをマーク。球速だけでなく、安定感も増していき、「(入学時は)社会人野球に行けたらいいなというくらいの気持ち」だった田村は、プロのスカウトからも注目される存在となった。

8月30日(土)に開幕する秋季リーグ戦に向けて「優勝を目指して、1勝1勝積み重ねていきたい」と意気込む田村。開幕戦当日は、自身22歳の誕生日。第1戦の神戸学院大戦でバースデー勝利を挙げることができるかどうか。京産大のエース右腕に注目だ。

◆田村剛平(たむら・ごうへい)
2003年8月30日生 兵庫県宝塚市出身 181㎝85㎏ 右投右打 
報徳学園(兵庫)~京都産業大学 
高3夏は背番号11で兵庫県大会ベスト4。甲子園出場経験はなし。
関西六大学リーグ通算10勝5敗。
4年春にマークした4勝は全て完投勝利(うち2試合は完封)。
好きな食べ物は唐揚げ。趣味はサウナ、銭湯巡り。

◆取材・文 金山泉(かなやまいずみ)
MBSアナウンサー。1982年6月5日生、新潟県上越市出身。 
野球とB’zをこよなく愛する。
投手として首都大学リーグ2部で通算11勝(8敗)をマークした。

【野球サイコー!取材後記】
「ずっと諦めないでいられたら クライマックスは続く」一度はやめようとも思った野球。やめずに続けたからこそ田村投手の今がある。
※B’z「イルミネーション」の歌詞より

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