陸上の世界選手権(世界陸上)日本代表選手の中に、珍しい所属先がある。

 大企業や大学名が並ぶ中で、異彩を放つのが「愛媛競技力本部」。正式名は「愛媛県競技力向上対策本部」という。

 愛媛県の組織で、今大会では2人の代表選手を送り込む。男子110メートル障害の野本周成と、男子やり投げの崎山雄太だ。

 特に崎山は、この競技力本部がなければ世界陸上の舞台に立てていたか分からない。

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 日大4年生の時、実業団から声がかからないまま卒業を間近に控えていた。当時、自己ベストは75メートル61だった。

 「アルバイトしながら1年間本気で陸上をやって、80メートルを投げられなかったら辞めよう」と考えていた。

 そこで救いの手を差し伸べたのが競技力本部だった。

 競技力本部が資金面を援助し、競技に集中できる環境を整える。その代わりに、国体(現・国スポ)に出場してほしい、と先方オファーをもらった。

 競技を続けられるかどうかの瀬戸際で届いた好条件だった。奈良県出身で、それまで縁がなかった愛媛に拠点を移した。

 愛媛では、元・今治明徳高監督の浜元一馬さんに師事。アテネと北京オリンピック(五輪)にやり投げで出場した村上幸史を育てた指導者でもある。浜元さんの下で練習を積むと、成長のスピードが上がった。

 社会人1年目の2019年に80メートルの大台を超え、23年5月に83メートル54に到達。今年の日本選手権では87・16メートルまで記録を伸ばした。

 日本記録は溝口和洋が1989年に打ち立てた87・60メートル。36年ぶりの更新も視野に入る位置まできた。

 大学在学中に、競技力本部のことを知らずに終わっていたら……。

 崎山は今も、そんな「もし」が頭によぎる。

 「競技を辞めていた可能性もある中で、感謝しかない」

 競技力本部は17年の愛媛国体に向けて生まれた組織だった。

 国体や国スポは各都道府県の持ち回りで開催される。地元開催の大会で良い結果を残したい。各都道府県はそう考え、複数年かけて強化に取り組むことが多い。

 競技力本部は愛媛国体開催の10年前にあたる07年に作られた。県内のスポーツ関係者が委員として参加した。

 有望な選手を他の地域から招き、代表選手として活躍してもらうのは強化手段の一つ。国体直前には、49人が県のスポーツ専門員という肩書で所属した。

 ただ、愛媛が特殊だったのは、国体終了後も強化する機運があったことだった。

 国体翌年度は専門員が15人まで減らされるも、必要性が認められて次の年度には25人に再拡充。それが現在まで続いているという。

 その流れに乗れたのが崎山だった。

 他の自治体では、国体や国スポの後に強化規模が縮小されることも多い。なぜ、愛媛は国体後も強化を続けられたのか。

 競技力本部の辻岡英幸事務局長は「(選手たちが)県民に理解をいただく活動を丁寧にしてくれた」と話す。

 力を入れたのが、学校訪問。県のスポーツ専門員は主にオフシーズンの間、体育の授業に参加してトップレベルの技を見せていた。そうした活動が実を結んだとみる。

 国体や国スポを巡っては、開催自治体への負担の重さなど、課題や批判も多い。

 一方で、辻岡事務局長は、こうした場をきっかけにスポーツへ関心が高まる意義を感じる。

 競技力やトップ選手の輩出数は人口に比例しがちだ。地方の不利は否めない。そんな中で、日本トップクラスの選手が活躍すれば、「愛媛、がんばっているな」と地域の力になるはずだ、と。

 辻岡事務局長は、崎山と野本の足跡を振り返った。

 「2人は実業団から声がかからなかった選手。そうした選手を粘り強く支援をしてきたことが今回の世界陸上につながった。この制度を続けた意義を証明できたと思う」

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