34年ぶりの東京開催となる「世界陸上」が13日に開幕した。この大会でかつて、金字塔を打ち立てたのが競歩選手として活躍した鈴木雄介さん(37)。レジェンドは今、立場を指導者に変え学生たちと向き合っている。
現役時代に栄光と挫折を繰り返したアスリートは今、セカンドキャリアで何を思うのか。
2019年9月、灼熱の地、中東カタールのドーハで開かれた世界陸上。鈴木さんは自らの歩みで新たな歴史の1ページを刻み、確かな輝きを放っていた。男子50キロ競歩でオリンピックと世界陸上を通じ、日本競歩界に初の金メダルをもたらした。

あれから6年、鈴木さんの姿は新潟市にあった。
鈴木さんは、サトウ食品新潟アルビレックスランニングクラブに所属し、今年4月から新潟食料農業大学陸上競技部のコーチとして新たな道を歩み始めていた。

鈴木雄介さん
「指導者だからこうとかではなく、自分のキャラクターはこうだから、そのキャラクターに合わせた指導法や学生との付き合い方をやっていこうかなと考えている」
若い学生への気配りともとれるこうした思いは、「輝かしい栄光」と「どん底の挫折」を繰り返した競技人生に隠されている。
世界一から奈落の底へ 激動の競技人生
2015年3月に行われた全日本競歩能美大会。鈴木さんの故郷、石川県能美市で行われたレースで世界に激震が走った。男子20キロ競歩に出場した鈴木さんのタイムは1時間16分36秒の世界新記録。日本男子陸上界にとっても50年ぶりの世界記録更新という快挙だった。

鈴木雄介さん
「とりあえず気力が抜けたのが一番だと思う。何しているんだろうということを一番思っていた」
再び世界の頂点へ しかし、待ち受けていたのは…
復帰後、31歳を迎えていた2019年4月。若手の台頭もあり鈴木さんは、世界記録を保持する20キロではなく、それまでレース経験がない50キロで東京オリンピックを目指すことを決断する。そして、世界陸上ドーハ大会の代表選考レースとなった日本選手権で見事に優勝を飾った。

過酷なレース環境にむすばまれた肉体
鈴木さんを再び襲った体調の変化。下された診断は「オーバートレーニング症候群」。文字通りトレーニングのし過ぎにより疲労が回復しない状態に陥ることで、競技者としてのパフォーマンスが低下し、心身の不調が長期間続く症状を指す。
本来は練習環境が原因で起こる症状だが、鈴木さんの場合は、世界陸上ドーハ大会の過酷な気象条件が発症の原因となった。男子50キロ競歩は中東の暑さを考慮し。異例の深夜に行われた。しかし、それでも気温が30度を下回らない高温に加え、多湿の気象条件下で4時間余りをかけて歩き切ったことが、鈴木さんの体へのダメージを大きくすることになった。
あのドーハで何が起きていたのか?鈴木さんは当時をこう振り返る。

鈴木雄介さん
「タイムが物語っているというか、他の大会だと3時間45分とか。20分ぐらい違うので相当な差。自ずとペースが遅くなるので、結局(歩く)時間が長くなる。計算すると大体5キロプラスぐらいの(ゴール)時間になっている。ドーハの大会の時に最後、徒歩して給水したが、ちょうど最後6キロぐらい。思い返してみれば、そりゃそうかと。あそこが正直なところ限界だった。いつもだったら50キロの時間があのくらいで終わっていたのが、プラス20分だったので、本来は枯渇して出し切っている時間を歩き切ったので、それだけのダメージが蓄積した。」
その後の競技人生を大きく狂わせた劣悪な環境。選手生命にもかかわるレースを経験した鈴木さんは、大会の運営方法に疑問を投げかけ、改善を強く訴える。
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