無色透明の氷塊を削り、動物や花々、建物などの像を作り出す。氷彫刻の第一人者で数少ないプロ職人の技だ。ホテルニューオータニ(東京都千代田区)の氷彫刻室長、平田浩一さん(57)にこれまでの歩みと氷の魅力を聞いた。

 白鳥像は、30分前は氷塊だった。

 高さ1メートル、幅55センチ、奥行き27センチ、重さ140キロ。まずはチェーンソーで豪快に削っていく。削りかすが雪のように飛び散る。

 ドリルに持ち替えると、モーターがうなるにつれ、首が細くなり、羽模様の筋が浮き出てくる。最後はのみを手に、顔の表情など細部をつけていく。羽を高く上げ、いきいきとした白鳥が出現した。

 続いて、小ぶりの氷板にドリルで穴を開ける。削りかすの雪を詰め、絵の具で着色すると、バラが氷の中で咲き誇った。1輪作るのに1分もかからない。

 コック帽と厨房(ちゅうぼう)服に身を包み、ホテルニューオータニの調理部門に所属するが、料理はしない。全国でも数少ないプロの氷彫刻職人だ。毎年2月に北海道旭川市で開かれる氷彫刻世界大会で、個人戦、2人1組の団体戦で計19回優勝した第一人者でもある。

 別のホテルの氷彫刻職人だった父に、20歳で弟子入りした。1994年、リレハンメル冬季五輪(ノルウェー)の関連イベントに父と組んで出場し、銀メダルを獲得した。

 「私は氷や道具を運ぶくらいで、何もしていません。団体戦の相方は雑用係なんです。技量が伯仲するとぶつかり合ってうまくいかないので」

 98年の長野冬季五輪の同様のイベントにも父と出たが、足を引っ張り、失格になった。分担して男女計4体を作る予定のところを時間切れで完成させられなかった。

 「うぬぼれていた分、ショックも大きくて。この時が悔しかったので、それからはほとんど負けていないです」

 2003年、ホテルニューオータニに入社すると、総料理長に鍛えられた。1日に3カ所の宴会場に彫刻を置き、料理に合った飾りを作るようにと、日々依頼を受けた。

 冷製スープには花、魚のお造りにはタイなど連日彫った。2年ほど経ち、「あれ、結構作れるようになったな」と気づいた。

 「センスもなく不器用だったから良かった。他人の良いところを吸収して、数もこなした。6千体以上彫ったと思う。器用な人は案外伸び悩むものです」

 ホテルでは宴席での装飾になることが多い。結婚披露宴にはウェディングケーキや、新郎新婦の職業や趣味に合わせて歯型や野球のグラブなどを作った。企業の宴会は会社のロゴなどだ。無色透明の素材だけに、立体感を強調しないと見る人に伝わらないという。

 高さ2・5メートルの東京スカイツリーを作ったこともある。「高さの割に細いので自立させるのが大変でした」

 今年の世界大会団体戦は独眼竜政宗の騎乗姿に挑んだ。氷塊16個を積み重ね、高さ3メートル、幅2・2メートル。馬は後肢と尾を高々と上げ、着地寸前の躍動感を表現した。

 制限時間は仮眠や食事を含めて40時間。時には零下20度の中で、作品にまたがり作業する。「手が早いので、他の人に比べて細部を詰める余裕がある」とコンテストでの強さの理由を語る。

 氷彫刻はいずれ溶けてなくなる。「そのはかなさがいい。溶けながら刻一刻と表情を変えていく。氷に勝る素材はないと思っています」

凄腕のひみつ

 制作環境によって氷の硬さが変化するので、彫刻の難易度も変わる。客の前で常温で制作することもあれば、溶けないように倉庫で作業することもある。

 零下20度ともなると、氷はガラスのように硬い。冷凍倉庫なら零下10~同5度、冷蔵倉庫なら6度くらいが最も扱いやすいという。

 電動工具メーカー「マキタ」のチェーンソーと木工用ドリルを使い、のこぎり、のみ、ナイフも国産品だ。早業を支えるのは刃物の切れ味。週に1度は研ぎ澄ます。氷に対するうえで「道具は魂のような存在です」。

略歴

 ひらた・こういち 東京都生まれ。ホテル入社前、冷凍倉庫で実物大の氷のオープンカーを作ったこともある。ハンドルもシフトレバーも氷で、タイヤだけ本物をはめる趣向だった。

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