対談する黒田・日銀前総裁(右)とマーティン・ウルフFTチーフ・エコノミクス・コメンテーター(22日、東京都千代田区)

日本経済新聞社と英フィナンシャル・タイムズ(FT)は22日、両社のパートナーシップ10周年を記念したシンポジウム「The Great Dialogue」を都内で開催した。関税政策や紛争で世界の分断が進むなか、経済の課題と報道の役割を議論した。(文中敬称略)

第1部では、世界経済をテーマに黒田東彦・前日本銀行総裁とマーティン・ウルフFTチーフ・エコノミクス・コメンテーターが対談した。モデレーターはロビン・ハーディングFTアジア・エディターが務めた。主なやり取りは次の通り。

ハーディング 2人の経済への見解について聞きたい。

ウルフ 現在、米国が第2次世界大戦後につくった世界の秩序は変化の途上にある。安全保障の提供、安定した財務・金融制度で米国が一定の役割を果たし、この80年間は世界経済が最も成功した時代だった。1人当たりの実質GDP(国内総生産)は大きく成長した。ただ、米国民はそれに必ずしも満足していない。

世界に安全保障を提供するのが難しくなるなか、世界貿易の発展でドルの流動性を提供して貿易赤字が出て不安定になった。ただ米ドルに代わる通貨はない。秩序の提供でもどこまで我々が合意に至れるのかを考える必要がある。

黒田 今の世界経済は非常に大きなストレスのもとにある。ウクライナでの戦争とそれに伴う主要7カ国(G7)のロシアへの制裁のほか、トランプ米政権の関税でもさらに分断が進んだ。世界経済の秩序を米国自体が破壊しており、取り戻すためには途上国やグローバルサウスの国も含めた協力が必要だ。

ほかにも人工知能(AI)、気候変動も世界経済の直面する課題だ。ただ、私はそれほど悲観的ではない。経済の進化を助ける性格もあるAIの発展による状況を分析し、政策面で一般の経済、生活を守るようにしないといけない。目に見える進捗を遂げていない気候変動緩和を含め解決可能という希望を持っている。

ハーディング トランプ政権のもとで世界のシステムは変わらないのか。

ウルフ トランプ大統領が何をしようとしているのかは想像が難しい。戦争を嫌っているのは明らかだが、一時的な中東での停戦にとどまり平和を達成できてはいない。伝統的な米国の役割とは違うのは明らかだ。(経済)政策も同様で、対外貿易赤字の削減を目的として関税交渉を2カ国でする。

ただ一つ楽観的な観点を言うと、今と一番近いニクソン政権の時代があった。日本に対してもいろいろやられたことを記憶していると思う。米国以外にオルタナティブ(代替)する国がなければ役割を担うべく戻ってくると期待している。

対談する(右から)黒田氏、ウルフ氏とハーディング氏(22日、東京都千代田区)

ハーディング 日本は米国の関税政策にどう反応すべきか。

黒田 中国と異なり日本はまだ報復措置を講じていない。米国からの輸入品に対して報復関税をしてしまうと消費者物価を上げてしまう可能性があり、あえて控えている。欧州連合(EU)も交渉という手立てで米国にのぞんでおり、貿易不均衡や赤字による問題を米国経済に資金や技術を提供して緩和しようとしている。

これがうまくいっているかどうかはわからないが、日本経済は最善の交渉を試みて関税を下げようとしている。それでもなお非常に高い関税が存在している。日本にとってもEUにとっても今年4月以前の状況にもっていくのは難しいだろう。

ハーディング この数年の金利上昇についてどう捉えてるか。

ウルフ 私はめったにこういったことは言わないが、わからないというのが答えだ。金利は歴史的な基準から言うと低い状態にある。15年前くらいのレベルに戻ってきたところだ。

実質金利の上昇にはいくつかの説明がある。世界経済の成長率が高く、アジア経済の世界における割合が増えた。負債が減少し、需要や投資も増えた。ただ世界では預金率が低下していく。AI関係を中心に資本は大きく動いており、十分に実質金利は上がると思う。永続的に金利が高い状況が維持されるかはわからないが。

黒田 (高市早苗首相の財政政策で金利は上がるかという質問について)足元の長期金利は1.6〜1.7%程度で、まだ実質金利はマイナスだ。政府として今後日本国債をさらに発行すると傾向としては長期金利の上昇につながる。影響はあると思うが、(財政刺激は)実質金利がマイナスの中で民間の投資を引き下げることにはならない。

ハーディング 財政出動には賛成するか。

黒田 どのような財政出動、減税なのか次第だ。大学への助成金は増やすべきで、日本の教育や研究開発への投資はほかの経済協力開発機構(OECD)諸国と比較して少ない。日本経済の一番の脆弱な点は革新的な技術が国内から多く生まれていないことだ。家庭にお金をばらまくのは消費者物価が上がる中では適切ではない。

ウルフ ほかに何ができるのかというのもある。日本経済は長いこと民間セクターが黒字だった。投資ブームによってこれが変わる可能性があるが、金利が妨げているわけではない。この状況が続くと財政赤字以外のオルタナティブは考えられなくなる。経済が弱体化しかねないのでなかなか議論されていないと思う。

ハーディング どこの国の財政赤字がもっともひどいと考えるか。

黒田 財政の持続可能性を政府債務のGDP比で考えると、日本は米国や欧州のほとんどの国と比較して悪い。ただ、日本の貯蓄は潤沢で、国債を購入する実力を持っている。日本経済は民間の貯蓄が大きく、財政維持ももちろん議論すべきだが、財政赤字がある意味マクロ経済のバランス改善に役立っている面もある。

ウルフ 日本はうまくやっているとも言える。日本国民はおそらくドイツを除いた他の国よりも政府を信用している。例えば英国は貯蓄がひどい状況だ。日本の場合は自国に対する信頼度が高いので、財政赤字がどれだけあっても不信感が出にくい。

黒田 (AIは世界を変えるかという質問について)AIの進展は経済構造、労働市場などに影響する。多くの仕事はAIで取って代わられる可能性がある。ただ、AIでは適切な金融政策を毎回つくりあげることはできないだろう。

ウルフ AIは最も重要な技術的革新だが、これは良いのかとも考える。生産性の向上はいいと思うが、大きな創造的破壊(ディスラプション)が起こる。これまで標的にならない人が標的となり失業が起こると経済、政治的な「破壊」となり得る。

ハーディング 米関税政策の環境のもとでの成長戦略は。

黒田 単純な答えはないが、外国直接投資(FDI)は重要だ。FDIは技術やマネジメントのスタイルのほか、新しいビジネスのやり方を日本にもたらす。十分な技術者、専門家が足りていないと言われる中で、人材受け入れは一側面でしかない。米国や欧州だけでなく、中国本土などからより多くFDIを誘致するのが日本経済に必要だ。

黒田・日銀前総裁(22日、東京都千代田区)
くろだ・はるひこ(前日本銀行総裁、日本経済研究センター研究顧問)
旧大蔵省財務官、アジア開発銀行総裁を経て、2013年から23年まで日銀総裁。デフレ脱却への「異次元緩和」を主導した。現在は日本経済研究センター研究顧問。FTのウルフ氏は英オックスフォード大留学時代からの友人。
マーティン・ウルフFTチーフ・エコノミクス・コメンテーター(22日、東京都千代田区)
Martin Wolf(フィナンシャル・タイムズ チーフ・エコノミクス・コメンテーター)
英国生まれ。経済政策の間違いが第2次世界大戦を招いたとの問題意識から経済に関心を持つ。世界銀行のエコノミストなどを経て1987年FTに入社し、一貫して経済問題を執筆してきた。
  • 【第2部はこちら】日経・FT10周年シンポ カラフFT編集長「読者の信頼、人間が築く」

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