札幌市のラーメン激戦区、ススキノで急成長を遂げている会社がある。学生時代に株式会社ICHIを創業した盛大地さん(25)は3年半で4店舗を開き、昨年は海外に出店。業界の常識と異なる経営手法を次々と導入し、「ラーメンで感動を世界中に巻き起こす」ことを見据える。
高3で決めた将来
盛さんは札幌市の北海学園大在学中の2023年に会社を設立した。みそラーメンが主流の札幌で、煮干しだしを主軸に、つけ麺や「家系」の濃厚豚骨しょうゆなど多彩な商品を展開する。
そのルーツは子ども時代にある。
札幌市出身。ラーメン好きの父に連れられ、小さい頃からラーメンをよく食べていた。
中学までは野球部に所属したが、進学した北海高校は野球の強豪。「キツいと思い、帰宅部を選んだ」
学校がある札幌市豊平区はラーメンの人気店が集まる。自然と足が向かった。同市北区の自宅に帰宅するまでに1時間以上かかる。帰路の途中、各駅の近くにある店も訪れるようになった。
同じくラーメン好きの同級生、菊地駿佑さん(25)と店の新規開拓をするのが放課後の日課に。3年間で食べたラーメンは約500杯。小遣いはほぼ食べることに費やした。
煮干しだしラーメンが多い東北地方で生まれ育った父の影響で、煮干しだしにひかれた。自宅でレシピ本や動画を見ながら作り方を考え、家族や友人に振る舞った。
高校3年で「将来はラーメン屋を開く」と決意。すぐに働きたかったが、家族らに反対されて進学した。
気づいた「おなかを満たす以外の価値」
盛さんは学業の傍ら、ラーメン店でアルバイトをした一方、菊地さんは大学を休学して東京にラーメン作りの修業へ。自身はバイトしかしていないことに「焦り」を感じていた。
複数のラーメン店を経営する知人に相談すると、空き店舗になっていた物件を紹介してくれた。大学3年だった21年、雇われ店長になった。
だが、当時は新型コロナウイルス感染症の流行下。客が10人未満の日もあった。そんな時、ある常連客に言われた言葉が今も忘れられない。「大地君と話すと元気が出る」
飲食には、おなかを満たす以外に価値を与えられる。そう気づかされた。
22年8月に独立。同じ物件で「RAMEN ICHI」の屋号を掲げた。
接客を重視して、店内は客と話しやすい立ち食いスタイルに。主力商品の「特上夜鳴き中華そば」は1500円。客の回転率の向上ではなく、ゆっくり過ごしてもらい、単価を上げることを目指した。
学生による開業が注目され、多くのメディアの取材を受けたこともあり、当初から客足は好調だった。同じ頃、札幌で独立を目指していた菊地さんを誘い、一緒に切り盛りを始めた。
23年6月に2店舗目、24年11月に3店舗目をススキノ周辺で開業。この間に調理場や商品開発の責任を菊地さんに一任し、盛さんはマネジメントやマーケティングに注力するようになった。
「食べたことのないラーメンを」
経営では社員に任せることを重視する。商品開発や材料の発注は店舗ごとに担う。一括発注などによる経営コストの削減よりも、「1杯に乗せる作り手の思い」を優先する。
以前から目指していた海外進出も果たした。大学時代に住んでいたシェアハウスのオーナーがメキシコでラーメン屋を営んでいたことが縁で、首都のメキシコ市を視察。「若い人が多くて街がとても盛り上がっていた」
25年11月、4店舗目となる店を現地にオープンした。「シェフと写真を撮りたい」と求めたり、来店を機に北海道を訪れたりする客もいるといい、「反応はとても良い」。現地法人を設立して日本から社員2人を派遣。現地でも数人を雇う。
あっさりとこってり、太麺と細麺、魚介やしょうゆ、動物系――。「1杯で多様な表現ができるラーメンに魅了された」と笑う。「食べたことのないラーメンを知りたい」という高校時代の探求心が、業界の常識を覆しながら世界に打って出る挑戦につながっている。
26年1月には5店舗目をススキノ近郊で開いた。今、客単価を上げることには利益追求と別の意義も見いだす。1次産業や卸売業など、「食に関わるところにより多くのお金が流れ、人が集まるようにしたい」。食のジャンルを超え、食産業全体の魅力を上向かせるという夢も抱いている。【片野裕之】
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