シュムシュ島は、第2次世界大戦で日本が降伏したあとの1945年8月18日、旧ソビエト軍が上陸し、武装解除を進めていた旧日本軍との間で激しい戦闘となり、双方に多くの死者が出ました。

上陸作戦から80年となった18日、現地では旧日本軍に勝利したことを記念する式典が行われ、ロシア大統領府のキリエンコ第1副長官やサハリン州知事が出席しました。

演説したキリエンコ第1副長官は、80年前の作戦と現在のウクライナ侵攻を結びつけ「特別軍事作戦に参加している兵士たちが、まさに同じ偉業を成し遂げている。80年前もいまも、勝利はわれわれのものだ」と述べました。

さらに、歴史の愛好家ら150人以上が旧ソビエト軍と旧日本軍の兵士にふんし上陸作戦の様子を劇で再現したほか、この夏の遺骨収集で見つかった7人の旧ソビエト兵の遺骨が埋葬されました。

また、作戦に参加した兵士の銅像や、朽ち果てた旧日本軍の戦車などを集めて展示した屋外の博物館もオープンさせました。

軍事侵攻を続けるロシアとしては国民の戦意を高めるとともに、ことしを「抗日戦争勝利80年」と位置づける中国と歩調をあわせるねらいもあるとみられます。

シュムシュ島などで続く遺骨収集

シュムシュ島などで遺骨の収集を行っている「ロシア捜索運動」のサハリン支部代表、アルチョム・バンドゥーラ氏によりますと、シュムシュ島では2014年に初めて本格的な遺骨の収集が行われて以降、ほぼ毎年、収集が続けられてきました。

ロシア側の記録では、シュムシュ島の戦闘で、およそ1000人の旧ソビエト兵と、少なくとも200人の旧日本兵が死亡したとされていますが、島への交通手段が限られていることなどから遺骨収集はあまり進んでいません。

バンドゥーラ氏によりますと、2025年春までに旧ソビエト兵134人の遺骨と旧日本兵75人の遺骨が見つかったということです。

また、厚生労働省によりますと、これまでに65人の遺骨が日本に戻ってきたということです。

遺骨のほかに、武器や兵士が使っていた食器、身につけていたベルトのバックルなども見つかることがあり、一部はサハリンの博物館などに保管されているほか、日本の遺族に返還されたケースもあります。

一方で、厚生労働省によりますと、ロシアと日本の間では、シベリア抑留者の遺骨取り違えの問題で協議が続いているほか、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の影響で人の行き来が制限されていることなどから、2019年を最後に遺骨の返還は行われていません。

バンドゥーラ氏は「日本兵は、かつてわれわれの敵だったが、彼らが祖国に帰り、親族がどこで彼らが戦死したのかを知ることは人道的な側面がある」と話していました。

また、「最後の兵士が埋葬されるまで、戦争は終わらない」と述べ、今後もできる限り遺骨の収集活動を続けていく考えを示しました。

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