
茨城大学などの研究グループは、紀元前1000年ごろからメキシコで始まったマヤ文明は、初期に支配者や権力者の存在なしで発達した可能性があると明らかにした。最古の大型遺跡を調査したところ中央集権的な社会階層を示す痕跡が見つからなかった。人々が大規模建造物を共同で造り始めて、文明が発展した可能性がある。
茨城大学の青山和夫教授や米アリゾナ大学の猪俣健教授らの国際研究グループは、2017〜25年にかけてメキシコの首都メキシコシティから東に約850キロメートル離れたタバスコ州にあるマヤ文明最古の遺跡「アグアダ・フェニックス」を調査した。

アグアダ・フェニックスでは、20年に青山教授らが公共の祭祀(さいし)建築とみられる「巨大基壇」と呼ぶ遺跡を発見している。長さは1413メートル、幅は399メートルと大きい。マヤ文明の最盛期とみられる時期よりも約1300年以上前に造られたとみられ、建設過程などに注目が集まっていた。
今回研究グループは、航空レーザー調査や発掘調査、年代測定技術などを用いて遺跡を詳しく調べた。巨大基壇では東西南北を示す青や緑などの顔料や赤い貝殻などが配置されていた。適切な方角を示す顔料の遺物が見つかったのは中米では初めてだという。暦に関連した儀式建築物なども見られ、暦や天文学が発達していた可能性がある。
さらに、基壇を中心とした東西南北の線に沿って、巨大な水路や道路があったことも明らかになった。東西に7.5キロメートルで南北に9キロメートルの長さで、水路は幅が35メートルで深さは5メートルあったという。周辺の湖から遺跡に向かって水を引いていたとみられる。
アグアダ・フェニックスはマヤ文明が最盛期だったときの遺跡とほぼ同規模の大きさだ。大規模な遺跡にもかかわらず、当時の王墓や権力者の石彫などが見つからなかった。青山教授は「中央集権的な社会階層は発達していなかった可能性がある」と指摘する。
エジプト文明のピラミッドや古代中国の秦の始皇帝陵などの巨大建築物は、権力者の力がないと造ることができないと考えられてきた。今回の発見は、「人々が強制的に建設に従事させられたのではなく、自ら共同作業に取り組んだ可能性を示すものだ」と青山教授は指摘する。
研究成果は米科学誌「サイエンス・アドバンシズ」に掲載された。
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