
日本対がん協会(東京都中央区)会長などを務める医師、垣添忠生さん(84)は今夏「銀幕デビュー」を果たした。「主演」を務めたドキュメンタリー映画「Dr.カキゾエ 歩く処方箋~みちのく潮風トレイルを往く~」(野沢和之監督)が劇場公開された。東日本大震災の被災地など、太平洋沿岸部を徒歩で巡る旅の記録。垣添さんは妻をがんで失い、自身も2度のがん経験がある。死とは何か、がんとどう向き合うべきか。愛する人をがんで失った悲しみをどう癒やせばよいのか。ジャーナリストの池上彰さんと語り合った。
池上 映画を拝見し感銘を受けました。「みちのく潮風トレイル」は環境省が震災復興の一環でルートを設定した自然歩道ですよね。青森県八戸市から福島県相馬市まで全長約1000キロに及ぶと聞きました。あんなに長い道のりを歩いたなんて、驚きです。
垣添 いえいえ、全部ではないんですよ。滑る恐れがある急斜面などがあって、そこは危ないので避けました。2023年3月から6月、計4回に分けて計500キロくらいでしょうか。
池上 それでも素晴らしいと思います。今も毎日歩いておられるんですよね。
垣添 だいたい1万歩です。暑いと無理せず、8000歩程度に抑えています。
池上 へえ! 私ももっと歩かなきゃ(笑い)。
垣添 年を取ると家の中で転倒して骨折、寝たきりになってしまう、というケースがとても多い。私も80歳を超えてから転ぶようになりました。つま先を上下に動かすなど転倒を予防するトレーニングも続けています。ストレッチや腕立て伏せ100回なども含めて起床後1時間くらいは運動に充てています。

池上 映画の冒頭で、自宅でトレーニングに汗を流す場面がありました。
垣添 ええ、ああいう感じで毎朝やっています。でも脚力が落ちたなあ、と実感しています。映画の中で、雨が降ってきたのでレインパンツを着用する場面があるのですが、足が疲れて棒みたいになって。はうようにしてなんとかはけたのですが、その様子がもう格好悪くて、情けなくて。「俳優」なのに(笑い)。
池上 四国八十八カ所巡りも達成されました。
垣添 あのお遍路巡りは1200キロくらいになりましたね。7年前には、全国の「がんサバイバー」(がん経験者)を支援しようと、「全国がんセンター協議会」に加盟する32施設(当時)を訪ね、日本列島を縦断しました。2500キロほどでした。
池上 映画製作のきっかけは?

垣添 80歳を超え「次に歩くとしたらどこだろう」と考えているところへ、野沢監督からオファーがありました。「著書を読んで感動した。ドキュメンタリー映画を撮らせてほしい」と。
池上 被災地を訪ねて何を感じましたか。
垣添 震災から年月がたち、防波堤などが整備されていたのは印象的でした。いろんな人に出会って話し掛けたのですが、最初はやや口が重かったのが、しばらく話すとせきを切ったように自身の経験を打ち明けてくれた方もいました。
池上 震災の経験を聞くと今も胸が痛みます。
垣添 岩手県大槌町にある吉祥寺の住職、高橋英悟さんは震災当時、津波で亡くなったたくさんのご遺体に対面し戒名をつけるなどの体験をされていました。最も悲しいのは遺族なのですが、その悲しみに毎日向き合う住職さんも精神的につらかったようです。わずかな時間を見つけて座禅を組み、気持ちを落ち着かせたと聞きました。
池上 尋常ではない苦しみだったでしょうね。当時救助活動をした自衛隊員なども精神的に参ってしまったといいます。
垣添 そうでしょうね。修行を積んだお坊さんでも大変だったわけですから。今回の旅の目的は被災地の方のお話を聞くとともに、がんサバイバーへの支援をアピールすることでした。旅に出る前は、震災とがんの両方を経験した方にはあまり出会えないのではないかと想像していました。でも実際は被災しがんを患った方に何人も遭遇しました。よく考えたら当然なのですね。がんは2人に1人がかかる病気なのですから。

池上 がんで愛する人を失った喪失感と、震災で家族を亡くした悲しみとは、同じようなものなのか、違うのか、どうでしょうか。
垣添 当初は、両者は基本的には別物だろうと思っていました。津波は全く突然のことで、がんは亡くなるまである程度の時間がありますから。ですが、歩き続けていくうちに、だんだんと二つが近づいてきて、オーバーラップというか、重なり合うような気がしてきたんです。人生の途中で、災厄という理不尽な出来事によって足をすくわれたという点は共通するのではと思うようになりました。【構成・江畑佳明】
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