2024年6月のショーでのアルマーニ氏(中央)。死去の直前まで働いていたという=ゲッティ共同

9月4日、ジョルジオ・アルマーニ氏が91年の生涯を終えた。イタリアのミラノにある複合文化施設、アルマーニ・テアトロには白い花とともに棺が安置され、市長、経済界の重鎮、ファッション業界の人々ばかりでなく、多くの地元の市民が追悼のために列をつくった。インターネットには世界中から惜別の言葉や写真が投稿され、私たちは「エレガンスの規範」を失った悲しみを共有した。彼がファッションデザイナーという職業を超えて、現代社会を生きる人々に敬愛され、影響を与えた稀有(けう)な存在であったことを、あらためて示した光景だった。

アルマーニ氏は、1934年ピアチェンツァ生まれ。75年、41歳で自らの名を冠した会社をパートナーのセルジオ・ガレオッティとともに創業した。医学を学んだ経験もあるアルマーニ氏は、身体の動きを解剖学的な視点から読み解き、芯地を排した柔らかなテーラリング、骨格の動きを流麗に見せる穏やかで艶のある色彩のグラデーションを生み出した。

80年の映画「アメリカン・ジゴロ」で主人公がまとうスーツは、それまでの男性像にはなかった軽やかな官能と知性の魅力を表現し、演じるリチャード・ギアが着るスーツは男性像を刷新して社会現象となった。

映画「アメリカン・ジゴロ」でのリチャード・ギア。柔らかな生地のアルマーニの服とギアは時代の象徴となった=Photofest/アフロ

同じ手法は女性服にも応用され、女性の管理職が増えていた時代において、女性の権威という概念を品位とともに表現する装いを提示したのである。アルマーニの服により自信を得た女性は、より高いステージへと活躍の場を押し上げた。アルマーニが生み出した新しい男性像、女性像は社会の要請に応えながら80年代の変化そのものを後押しし、時代のイメージに明確な輪郭を与えた。

映画をPRメディアとして活用したことも当時としては先駆的だった。その戦略はレッドカーペットにも及んだ。セレブリティーと親密な関係を結び、多くの俳優が彼のデザインした服をまとい、結果として絶大なPR効果に貢献した。とりわけタキシードにいたってはアルマーニが標準服となった。現在当たり前に行われている「セレブリティー・エンドースメント(有名人のお墨付き)」という広報戦略は、アルマーニの発想に端を発している。

スポーツとの関係も深い。イタリア代表のオリンピックユニホームを手がけ、国家の公式な立ち姿をも美しく統一した。多彩な領域で装いを通して美の力を示し続けたことで、イタリアは戦後の貧しいイメージを脱ぎ捨て、エレガンスと官能のイメージを帯びるまでに変貌した。衣服が個人や社会だけでなく、国家のイメージまで変え得ることを実証したのだ。

経営者としての彼も、独自の路線を貫いた。公私にわたるパートナー、ガレオッティが85年に他界すると、絶望してしばらく引きこもった後、デザイナーにして経営者という2つの顔を兼備して再出発する。巨大資本の傘下に入ることを拒み「Giorgio Armani」「Emporio Armani」「A|X」といった多層的なブランド戦略を構築する。さらにはホテル、レストラン、インテリア、チョコレートへと領域を拡張しながら、統一感を崩さなかった。

1981年、パートナーのセルジオ・ガレオッティ(最前列右)と集合写真におさまるアルマーニ氏=ゲッティ共同

慈善活動にも力を入れていた。各地で貧困や環境保護、医療支援など幅広い社会貢献を展開した。フードバンクや子どもの貧困対策、緑化推進、エイズ対策を支援する「(PRODUCT)RED」キャンペーンへの参加など、領域は多岐にわたり、国際的なプロジェクト・団体とも連携しながら活動した。

アルマーニ氏と日本との関係も深い。2011年の東日本大震災後、彼は経済的な支援とともに、日本の美を称賛するオートクチュールコレクションを発表した。扇や折り紙の幾何学的な構築が織り込まれ、日本らしさを礼賛しながらも、安易なジャポニスムを避ける高度な美意識に貫かれた作品だった。日本を心から敬い、愛し、激励する表現だった。

若い才能への惜しみない支援「ジョルジオ・アルマーニ デザイナー支援プログラム」においては、日本のブランドも対象に含んだ。ヨシオクボ、ウジョー、ファセッタズムといった日本の独立ブランドは、アルマーニの支援を受けて、世界の主要コレクション参加への足掛かりを得た。

逝去に際し、棺が安置されたアルマーニ・テアトロも日本の建築家、安藤忠雄氏が設計した空間である。国境を超えて共有された間合いと余白の美意識が貫かれている。

棺はアルマーニ・テアトロに安置され、多くの弔問客が訪れた=ゲッティ共同

私にとって忘れられないのは、19年に東京国立博物館の表慶館で開かれたショーのためにおこなわれた記者会見でのアルマーニ氏の姿だ。当時、84歳だった彼は1時間もの間、背筋を正して立ち続け、すべての問いに丁寧に答えた。若いスタッフが疲れて座り始めても、彼は姿勢を崩さず立ち続けた。

余韻として強く残ったのは、驚異の体力ではない。彼の高い美意識と記者たちに向けた敬意である。彼が好んだネイビーについて「開きすぎず、拒まない、正しい距離をつくる色」と語った意味が、その立ち姿に凝縮されていた。

ジョルジオ・アルマーニ氏は仕事を人生そのものとして愛した。謙虚でありながら確固たる自尊心を保ち、彼は、衣服、空間、経営、支援、態度の全方向から、ストイックなまでに、私たちにエレガンスとは何かを提示した。

1時間、立って答え続けたアルマーニ氏の記者会見のあとに悟った。彼が世界に示し続けていたエレガンスとは、美意識というよりもむしろ、生き方を貫く倫理なのだと。

服飾史家 中野香織

[NIKKEI The STYLE 2025年9月21日付]

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