穂積和夫さんの生み出した「アイビーボーイ」は、アイビーの象徴となった ©KAZUO HOZUMI

着こなしの参考になるのは、写真だけではない。とりわけ男性の装いでは、ファッションイラストがスタイルアイコンになってきた。代表的なのが「アイビーボーイ」で知られる穂積和夫さん。昨年94歳で亡くなったが、その系譜は今も受け継がれている。

ぱっちりした目に赤らんだ頰。かわいらしい少年が"アメトラ"(アメリカントラッド)のファッションに身を包む。穂積さんの「アイビーボーイ」は、1960年代前半にヴァンヂャケットの広告ポスターとして誕生した。その到達点が80年に刊行された「絵本アイビーボーイ図鑑」。アメトラやアイビーに憧れる若者にとって、バイブルのような存在になった。

凧(たこ)の絵に着想を得たという絵柄はユーモラスなタッチ。ネイビーブレザーやボタンダウンシャツなど、アイビーの定番アイテムを紹介する。ジャケットの前ボタンの数は3個で、背中のスリットは鍵形のフックベント、トラウザーズは尾錠つき――。イラストはデフォルメされているがゆえにディテールがわかりやすい。着こなしに色々なルールがあるトラッドではそれを学ぶにも、うんちくを語るのにもぴったりの表現だった。

「穂積さんのイラストは、アイビースタイルが着たい人を誰でも歓迎しているんです」と話すのは、著書に「AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語」がある文筆家のデーヴィッド・マークスさんだ。「現代においても、当時のファッションを知る体系化されたアーカイブになっています」

一方、穂積さんはリアルなタッチの作品も多く手掛けてきた。「アイビーボーイが注目されがちだが、それだけじゃない。米国のイラストレーターを研究し、常に高みを目指していました」と穂積さんの弟子、綿谷寛さんは言う。その幅広い仕事を振り返る回顧展も、9月に都内のギャラリーで開催予定だ。

綿谷寛さんのイラストは、写実的なタッチながらチャーミングだ

米国では30年代にGQ誌やエスクァイア誌が創刊した。優雅で構築的なシルエットのスーツが確立した頃で、これを誌上で伝えたのがイラスト。消費文化の成熟とともに、50年代にかけ大きな存在感を持った。華やかな社交からリゾートのくつろいだシーンまで、男性が装いを楽しんでいた雰囲気が伝わってくる。穂積さんが「セツ・モードセミナー」でイラストを学び始めたのもその頃。54年に誕生した男性ファッション誌「男の服飾」やその後継「メンズクラブ」では、企画に合わせ幅広いタッチのイラストを披露している。

ただマークスさんによると、欧米のファッション誌や広告では写真が主流となって以降、イラストを見かけることは少なくなった。平面的なイラストによる表現はキャラクター文化の根付く日本と好相性だったのかもしれない、と見る。今も綿谷さんをはじめ、穂積さんに影響を受けたイラストレーターが多く活躍を続ける。

綿谷さんは小学生のころに「メンズクラブ」を読み始め、トラッドにのめり込んだ。写実とチャーミングさが両立する作風は師匠の穂積さん譲りだ。「服飾にうるさい人が見れば『ああ、あのブランドね』と分かると思います。一方で、写実的=写真のように描く、ということではないんです。たとえば写真ではキザすぎるポーズも、イラストではちょうどよかったりする」

クリーム色のシャツに下着姿の男性は、旅行の準備中だろうか。スーツケースにはピンク色のバミューダショーツに、涼しげなマドラスチェックのジャケット。ちょっと派手そうなアイテムでも、イラストで見ると「こんな風に合わせてみたい」という気分になるのが面白い。

南仏のテラスをイメージしたというソリマチアキラさんの作品。「みんながしゃれ込んで集まる。最近少なくなったそんな機会への憧れを取り入れました」

66年生まれのソリマチアキラさんも高校生時代に「アイビーボーイ図鑑」を愛読。「コミカルな世界なんだけれど、格好がアイビーだったりクラシックだったりするのが面白い」と、画風は欧米のカートゥーン(漫画)の影響も受けた。紳士服の基本が頭にたたき込まれているのは前提とした上で「かっこよさや男らしさを前面に出すより、クスッとちょっと笑えるものを目指したい。数分間のハッピーを味わえるイラストが描けたら一番いいですね」と話す。

ファッションの視点で見ると、イラストには写真では代替できない魅力がある。綿谷さんやソリマチさんが口をそろえて指摘するのは、イラストには「想像力を働かせる余白がある」こと。「イラストレーターはスタイリストでもあるんです」と綿谷さんは説明する。絵の中では、ブランドの垣根はもちろん、国や時代を超えたスタイリングも自由自在だ。

ソリマチさん自身もおしゃれで知られる。夏はコットンやリネンなどの素材を、ベージュのトーンでまとめることが多いという=山田麻那美撮影

服飾ディレクターの赤峰幸生さんは、30〜50年代の欧米ファッション誌のイラストから多くを学んできた。特に参考にしているのは、統一感のある上下に鮮やかな差し色を取り入れる色の組み合わせ。イラストレーターが描く理想の世界観を、手持ちのアイテムでどう実現するか。試行錯誤していくことで、色彩感覚や全体をコーディネートする力が養われるという。

穂積さんのイラストに話を戻すと、その人気は海外でも高い。「Mr.Slowboy」の名で活躍する北京出身・ロンドン在住のイラストレーター、フェイ・ワンさんは「私にとって穂積さんが先生でした。軽やかで現代的で、西洋のファッションイラストとは全く違ったのです」と明かしてくれた。

「私も優雅で上品な服装を描くだけでなく、イラストで夢の世界を創り出したいんです。不完全さも優しく受け入れて祝福する。ファッションの背景にある人間の魅力を伝えることで、みんなが一休みして笑顔になる時間を提供したいと願っています」とワンさん。穂積さんが築いたイラスト文化は、国や世代を超えて人々を魅了している。

北村光

[NIKKEI The STYLE 2025年8月10日付]

【関連記事】
  • ・「椅子らしからぬ椅子」目指して 飛驒産業とデザイナーの奮闘
  • ・エルメス主催の馬術大会はパリの風物詩 馬具へのこだわりに宿る精神
■NIKKEI The STYLEは日曜朝刊の特集面です。紙面ならではの美しいレイアウトもご覧ください。
■取材の裏話や未公開写真をご紹介するニューズレター「NIKKEI The STYLE 豊かな週末を探して」も配信しています。登録は次のURLからhttps://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=S004

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。