技術講習会に集まったメンバーたち。右から5人目が会長の石井剛さん、その左が副会長の手島純也さん

フランス料理のシェフたちの会「クラブ・エリタージュ(正式名はクラブ・ドゥ・レリタージュ・キュリネール・フランセ)」が技術講習会を開くと聞き、見学に行った。定員30人は募集開始後すぐ埋まって補助席10人分が追加され、東京都港区の会場は全国から集まった料理人の熱気で包まれた。

クラブ・エリタージュは伝統的フランス料理の継承を目的に、2023年8月に結成された。会長の「モノリス」シェフ石井剛さん、副会長の「シェ・イノ」料理長・手島純也さんをはじめ、会員は40代を中心に13人。フランス国家最優秀職人章(MOF)を受章したルノー・オージエさん(トゥールダルジャン東京)、関谷健一朗さん(ジョエル・ロブション)など実力を認められるトップシェフがそろう。

フランスで世界選手権が開催されるパテ・クルート。全体の見た目と断面のデザインも評価対象

講習会は8月に開かれ、テーマはパイ包みだった。特に難しいとされる、パテを包んで焼く「パテ・クルート」の講師は、21年世界選手権優勝者の福田耕平さん(メッツゲライ・ササキ)、もう一品は3位の中秋陽一さん(アターブル)。この分野のスペシャリストだけに、実演しながらの説明は論理的で詳細を極めた。参加者からも「パイに塗る卵黄を薄める水は軟水、硬水どちらがよいか」など専門的な質問が飛び交い、少しでも上手に作るため学びたいという強い気持ちが伝わった。

料理人たちの向学心の背景には、近年フランス料理の修業において、パイ包みのように歴史が古く、多大な手間と時間を要する調理技術を身につける機会が少なくなっていることがある。

「伝統的なフランス料理の作り手が世界的に減っている。フランスもパリを中心にその傾向は顕著だ。日本も同様で、最も基礎となる技術を若い料理人に教える先輩が不在になりつつある」と石井さんはいう。

マデラ酒とコニャックをふんだんに使ったクラシックなソースを教える「アターブル」シェフの中秋陽一さん

フランス自らが伝統的な料理から離れ始めたきっかけは、1990年代のスペイン「エル・ブリ」と、続くデンマーク「ノーマ」の台頭だったという。科学的な技術や最新式の器材を駆使したエル・ブリの「分子ガストロノミー」と、ノーマが提唱した自然と共生する「新北欧料理」の革新性は、19世紀から築き上げられた伝統様式をひっくり返すインパクトがあった。

以来、こうしたやり方を有名シェフがこぞって取り入れた。フランス料理は「伝統的」と「イノベーティブ」2つのカテゴリーに分かれ、前者の旗色が悪くなった。影響はすぐ日本に及び、作り手と客の目はイノベーティブに向くように。石井さんは「私たちにとって厳しい時代がきた」と痛感する。

日本では、2007年秋にミシュランガイド東京版が発売されたことも、大きな転換点になったと手島さんは考える。「伝統的な料理を得意とするベテランシェフの店は評価が低く、三つ星を獲得したのは当時、最も革新的とされる店だった。これでフランス料理の価値観ががらりと変わり、若者がイノベーティブの店で修業したがるようになった」という。

パテ・クルートの作り方を解説するメッツゲライ・ササキのシェフ、福田耕平さん

ミシュラン以降、それまで日本のフランス料理では禁忌とされた昆布だしやワサビなどの和風材料が積極的に取り入れられるなど、ジャンルの壁が壊れた。そのこと自体は悪くはないが、問題は今後フランス料理の基本的な実務経験を踏まずにシェフになる人々が現れるであろうこと。「技術と知識を持った人があえて崩すのではなく、引き出しが空っぽな状態で作る人が増えたら、日本のフランス料理はやがて衰退してしまう」という問題意識を共有した2人が立ち上げ、同じ危機感に突き動かされたシェフが結集したのがクラブ・エリタージュだ。

音楽に例えれば時代の趨勢がポップやヒップホップにあっても、片側にはクラシックが確固と存在するように、イノベーティブと伝統の両翼が高いレベルであってこそフランス料理全体の発展につながる。「そのためには働き盛りの私たち世代が頑張らないと」と、メンバーは忙しいシェフ業のかたわら、手弁当で後進の指導に力を注ぐ。

活動は、講習会や店での研修制度を充実させて、若い料理人に基本のフォンやソース、機械に依存しない火入れの技術などを指導することが中心。食べ手に伝統的フランス料理を伝える場として、賞味会も定期的に開く。この秋は11月17日、港区の「エネコ東京」で開催する予定だ。今後はパティシエやサービスの人も会員に加わり、活動の幅を広げるという。

講習2品目の子バトとフォアグラのパイ包み。火の入り具合が途中で確かめられず、難易度が高い

手本にしたのは、シェフの会の先駆け「クラブ・デ・トラント」だった。1960〜70年代にフランスで修業し、各地の郷土料理や勃興していたヌーベル・キュイジーヌを日本に持ち帰ったシェフが一致団結し、フランス料理の普及と定着に尽くした。

生食できるサーモンや缶詰ではないフォアグラ、生きたオマールなどの輸入を商社に働きかける等、内外の食材を豊富に使えるようにしたのも功績の一つだ。メンバーは会長の高橋徳男さん(アピシウス)をはじめ、きら星のようなグランシェフばかり。彼らなくしては、現在のようにフランス料理が文化として根づかなかっただろう。

「私たちはクラブ・デ・トラントのシェフたちに憧れてフランス料理を志した。今度は私たちが後輩から憧れられる存在にならなくては」と石井さん、手島さんは声をそろえる。受け継いだすべてを次の世代に伝えるのが、自らの使命だと思い定めているそうだ。

それにしても、どうしてエリタージュのシェフたちはこれほどの情熱を注ぐのだろうか。

「技術は一度失うと取り戻せず、先輩が必死の思いで働いて習得したものを途切らすわけにはいかない。それに私たちは、理屈抜きで、ただただ伝統的フランス料理が大好きなんです」

「好き」が原動力になる取り組みは、素敵(すてき)だ。

食文化研究家 畑中三応子

山田麻那美撮影

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