
1945年8月の終戦後、ソ連軍が北方領土に侵攻してから28日で80年となる。元島民は島を強制退去させられ、北海道に引き揚げた。今年、新たに引き揚げ船の「乗船名簿」の全容が明らかになった。高齢化が進む元島民らは「名簿には島での家族の歴史が詰まっている」と話しており、領土返還要求運動の継承の一助になることを期待している。
外務省によると、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島からなる北方四島は、1855年の日露通好条約で日本の領土と定められた。面積は計5003平方キロ。千葉県や福岡県の広さに匹敵する。
ポツダム宣言受諾後に侵攻
北方領土問題対策協会などによると、45年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破って対日参戦。日本がポツダム宣言を受諾した後の8月28日、択捉島に上陸し、9月5日までに北方四島を占領した。日本軍は抵抗せず、無血でソ連の占領が完了したとされる。
45年8月15日時点で四島の居住者数は計1万7291人。元日本兵はソ連によって強制的にシベリアに抑留された。民間人の島民は自力で島外に脱出するか、残留するかの二択を迫られた。島に残った島民はソ連占領下で自由を奪われ、15歳以上は強制労働させられた。
島での生活は長く続かず、ソ連は島民を47年7月から樺太(からふと)(現ロシア・サハリン州)に強制退去させた。島民らは樺太から船で北海道・函館港に引き揚げた。
引き揚げ後はそれぞれ親類や知人を頼って各地へ赴いたが、行く当てがない人の多くは、島と関係の深い北海道根室市方面に落ち着いたという。
新資料の「乗船名簿」

引き揚げの時に島民が乗った船の記録・乗船名簿が2024年に国立公文書館で新たに見つかった。名簿には元島民の名前や年齢、職業、引き揚げ前後の住所が記載され、船内での死者や出生者の記録もあった。
今年、名簿は東京都内や北海道内で公開された。5月の札幌市の閲覧会では、名簿に記載された家族の名前を見て、抱き合って涙を流す人、言葉を失う人がおり、戦後80年で発見された「新資料」は元島民の感情を動かしている。毎日新聞の記者は名簿を手に全国各地を取材した。
25年6月末現在、存命の元島民は4907人。終戦後に島で生まれ、06年の法改正で新たに「元島民」と認定された人を含めても5209人だ。これまでに1万人以上が亡くなった。
元島民の平均年齢は88・9歳。苦難の歴史をよく知る2世計1万6315人も平均年齢は60歳超に上り、返還運動の継承が課題となっている。【伊藤遥】
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