
高級旅館を運営する強羅花壇(東京・港)が7月、静岡県小山町に「GORA KADAN FUJI(強羅花壇 富士)」を開業した。1948年に神奈川県箱根町に創業してから、新施設を展開するのは初めて。オープンから1カ月だが、多くの客が宿泊後、次の予約を取って宿を後にするという。富士山の雄大な自然と、驚きや心地よさといった感情に響くデザインでもてなす。
「強羅花壇 富士」は東海道新幹線の三島駅から車で35分ほど。約5万平方メートルの敷地に、3棟の離れも含むオールスイートの客室が42室。すべてに風呂が付くのに加え、温泉の大浴場もある。旅館でありながら、屋内プールやダイニングフロアも設け、ゴルフ場も併設する。

箱根の強羅花壇は、もともと閑院宮家が避暑地に建てた別邸だ。「日本の皇室と、自然を大切にする神道は深く結びついている。偉大な自然のあるこの場所に立って富士山を見たときに、ここだなと思った」と代表の橋本龍太朗さんは振り返る。
富士山の山頂から、直線距離で12キロメートル。「すべての部屋、すべての施設が富士山を向いている。それが大原則」。設計を手がけた荻津郁夫建築設計事務所(横浜市)の代表、荻津郁夫さんは話す。荻津さんは箱根のリニューアルなど、1987年から強羅花壇に携わる。富士の建築に際し、様々に検討し、全部で100近くの案を作ったが、「やはり最終的に富士山がスタートに」なった。

真西に位置する富士山は、施設内から見るとかなり迫力があり、その前に広がる樹海は美しいだけでなく、畏怖さえも感じる。施設から見える「富士山が祭壇のようだったり、映画館のスクリーンに映し出されたかのようだったり。そこにいるだけで、日常生活とは違った『空』なのか『無』なのか、ふっと今までにない空白の時間、あるいは濃密な時間を感じてもらいたい」と荻津さんはいう。客室はもちろん、施設内の様々な場所から富士山が見えるが、そうして何気なく何度も目にしているからか、窓がない場所であってもその存在を感じるから不思議だ。
雄大な自然を生かすことに加え、もうひとつ大切にしたのが、「推し量るということ」と橋本さんはいう。2017年に代表に就任し「まず、従業員の間で『強羅花壇らしさ』という言葉が自然に使われていることに驚いた」という。これは強羅花壇らしいかどうか、常に議論がなされているそう。その「らしさ」のひとつが「お客様を『推し量る』こと」だという。ただ単に推測し、想像することにとどまらない。「お客様自身も気づいていない潜在的に求めているものを提供する」ことだという。

それは富士の「設計の考え方にも通じる」と橋本さんは話す。機能や効率性に重点をおくのではなく、宿泊者の感情や心に寄り添うことを重視している。
「まずは驚いてもらう。期待を膨らませてきたものと、ちゃんといい方向にずれていることが大切」。荻津さんはこう話す。箱根と同様、施設の入り口は最上階にあり、到着しても全貌は分からない。中に入り、水盤に映る逆さ富士が見られたり、横長の窓でダイナミックな富士山が見られたりするうちに「日常からだんだん非日常になっていく」。宿泊し、時間を過ごしていくにつれ、徐々に全貌を発見していく。
客室は全42室だが、部屋のパターンは19に上る。つまり、多くの部屋が異なる仕様だ。「建築は驚きがないと、愛してもらえない」と荻津さん。「お客様に『ほかの部屋はどうなっているんですか?』と必ずといっていいほど聞かれる」と橋本さんも続ける。訪れるたびに、新しい体験ができる楽しみがある。

もうひとつ追求したのが、和のしつらえによる心地よさだ。「日本の良さを知ってもらう、日本文化を体現するひとつの舞台としてありたい」と橋本さんがいうように、客室は畳や床の間、掛け軸、縁側など、日本ならではの空間。だが、それらはひとつとして重々しくない。「日本の生活様式を、押しつけがましくなく、なるべく自然なかたちで伝えたい」と考える。
荻津さんは「いわゆる本格的な茶室や数寄屋建築みたいなところまでいくと、緊張感がありすぎてしまう。一方で、和のレストランなどでみられる和と洋を混合することも、一見かっこいいけれど飽きがきてしまう」と話す。目指したのは、「おばあちゃんの家で畳の上でごろんとして、気持ちいいなという感覚」だそう。そのために意識したのは、材料にしてもしつらえにしても、「奇をてらったことをしない」。例えば、和室の床の間の柱を選ぶ際にも、変わった形や凝った素材は選ばない。「建物はお客さんの背景。建物が主張するのでなく、施設内に置かれているアートや置物がキラッと光るくらい」にとどめた。

ただし、空間づくりや工程は手を抜かない。客室の入り口は、玄関があり、沓脱ぎ石(くつぬぎいし)があり、2畳の畳が敷いてある。「4畳ほどとられるため効率で考えると無駄だが、靴を脱ぎワンクッションあると、廊下の音も聞こえにくいし、囲われた感も出る」(荻津さん)。湯上がりに休憩するサロンの壁も、表面をたたいて仕上げる手法だが、ムラが生じないようにと、1人の職人の手ですべてを制作した。「きちんと作らないと奥行きがでない。こうした工程を経て、建物に物語が埋め込まれていく」
畳の上でい草の香りを感じながらごろごろしてリラックスしたり、縁側でぽかぽかの日差しを浴びたり。奇をてらったことをせずに、丁寧に着実に作ることで、「これが日本の文化だからということではなく、この心地よい感覚を伝えていく。そうでないと伝わらない」と荻津さんはいう。
強羅花壇は2030年には京都にも開業予定だ。新型コロナウイルス禍を除くと、この10年ほど、箱根の客層は半数以上が海外からだそう。なかでも北米からが多い。「海外においても、宿泊施設を展開する意義があるのではないかと考えている」と橋本さんは先を見据える。

「強羅花壇 富士」で、富士山が見えるのは1年のうち、3分の1ほどだという。季節や天候、運次第ともいえるが、富士山の存在を感じながら、変化する雲や太陽、森の様子をただただ眺める時間もいい。「5分として同じ光景はありません」。女将の村田典子さんはこう話していた。
(井土聡子)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。