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 プロレスラーの高山善廣選手(59)に松岡修造さんが取材しました。高山選手の「ノーフィアー!」という言葉にずっと元気づけられてきた松岡さん。プロレス界の帝王と言われていますが、実は8年前、大けがで首から下の自由を失いました。それでも今もなおリングを目指しプロレスラーであることにこだわり続けています。

プロレス冬の時代の救世主・高山善廣の今

松岡修造さん(左) 高山善廣選手(右) 妻の奈津子さん(右後) この記事の写真は12枚 高山選手
「ご無沙汰してます」 松岡修造さん
「高山さん、よろしくお願いいたします」 高山選手
「お久しぶりです」

 高山善廣選手。8年前、首から下の自由を失いました。

高山選手
「もう何年ですか?もう20年以上前?」 松岡さん
「そうですよ。“ノーフィアー修造!”って言われながら。いやー懐かしいですね」 高山選手
「懐かしいですね」

 2000年代初頭。196センチの巨体で多くの団体を渡り歩き、数々のベルトを腰に。

 そんな高山選手の名を不動のものにしたのが、世界的格闘家ドン・フライとの伝説の闘い

 プロレスが冬の時代と言われたなかで、その窮地を救ってきました。

 そんな高山選手が、叫び続けた言葉があります。

ノーフィアー!

 ノーフィアー。直訳すると“恐れはない”。

松岡さん
「僕は『ノーフィアー』っていう言葉、すごく気になってたんですよ。高山さん自身は、実はプロレスも含めて人生を含めて、いつも恐れがたくさんある人だったんだろうなってイメージしたんですね」 高山選手
「まあそうですね。正直言って怖がりですね」 何が一番、高山さんにとって怖いことだった? 松岡さん
「怖がり?何が一番、高山さんにとって怖いことだったんでしょう?前は」 高山選手
「今の僕の状態になってしまうことが、一番怖かった。なるはずがないって思い込んでやってきましたけど、なっちゃいましたね」

 8年前の試合中。リング上で動けなくなると、そのまま意識不明に陥りました。

 一命はとりとめたものの、診断は頸髄(けいずい)完全損傷。首から下の自由を失う大けがで、医師から「回復の見込みは限りなくゼロに近い」と告げられました。

口にしなかった“二文字”

 そんな絶望の淵にありながらも、“引退”の二文字は絶対に口にしませんでした。

高山選手
「最後の試合は、自分でリングを降りられなかったんです。搬送で降りたんです」 松岡さん
「担架で、はい」 「俺はプロレスラーだから」 高山選手
「搬送で無理やり降ろされてるから、今たまたまリングに立てないけど、俺はプロレスラーだから、自分の足でリングから降りて終わらせたいと。かっこつけなんです。かっこつけないのは、プロレスラーじゃないんです」 広告 プロレスラーとして再びリングへ…

プロレスラーとして再びリングへ…

寝たきりの状態が続く

 先の見えない闘病生活。寝たきりの状態が続くなか、床擦れや感染症での手術を何度も余儀なくされました。

 妻の奈津子さんに付き添われ、週に一度リハビリへ。

高額なリハビリ費用を自己負担 奈津子さん
「今の医療制度だともうけがして半年以上経っていて、“これ以上回復の見込みがない”という診断が下っちゃってるから、そこから保険を使ってリハビリっていうのができないんです」

 高額なリハビリ費用を自己負担しなければなりませんでした。

 リングへの願いをかなえられないまま7年。諦めない信念はどこから来るのでしょうか。

諦めない信念はどこから来る? 松岡さん
「誰も文句言わないですよ。もうここまでやってるんだから、リング立たなくても十分やってるじゃないですか」 高山選手
「自分が嫌なんです。これからリングを目指す後輩たちが怖がらずにプロレスラーを目指せるように、前例を作りたい。諦めなければ、何とかなるって。姿勢を貫くことが、プロレスラーでありノーフィアーだと」

 プロレスラーとして再びリングへ。その強い思いが驚きの変化をもたらします。

リハビリ中の高山選手 高山選手
「すごく感覚が出てきたんで、足なんかどこにあるか分からなかったのから、足の裏についてる感覚もあるし、太もももどこにあるか分からなかったけど、太ももの血管に血が巡っている感覚もあるし」 松岡さん
「今、僕もこう持っていて、ここの筋肉が動いたり、しっかりと伝わってるんですよ」 高山選手
「本当ちょっとずつなんですけど、戻っているっていう実感はあるんですね」 広告 高山選手を誰よりも知る盟友

高山選手を誰よりも知る盟友

鈴木みのる選手

 そんな高山選手を支え続ける存在が、鈴木みのる選手(57)。共に戦い、一時代を築いた盟友は、高山選手を支援するための団体「TAKAYAMANIA」を設立しました。

 大けがから1年後に開催された第1回大会。施設から出ることのできない高山選手へ、団体の垣根を超えたレスラーが集まり、支援を呼び掛けました。

鈴木選手
「僕はもうストレートにしか言わないですけど、お金集めたいですね。偽善のお金でも、義理でも、何でもいいので、1円でも多くのお金を集めたいというのが一番。あと、高山善廣というレスラーがいたのが、消えないようにしたいですね」

 すると去年、3度目の大会で…。

鈴木選手
「きょうのスペシャルゲスト!高山善廣!」

 大けがから7年、初めてファンの前に姿を現しました。

 ここで、高山選手を誰よりも知る男が、まさかの行動に。

「高山にとっての刺激なんだろう、試合だなと思って」 鈴木選手
「『何か刺激があったら、何かもっと良くなるような気がするんだよな』ってポロッと言われたことがあって。高山にとっての刺激なんだろう、試合だなと思って。試合させよう」 アナウンス
「ただいまより時間無制限一本勝負を行います!赤コーナー鈴木みのる!青コーナー“帝王”高山善廣!」

 突如、実現した盟友同士の一本勝負。

「何とか立ち上がりたかった」 高山選手
「『来いよ』と言われた時、本当にこれで立ち上がって、ぶん殴ってやりたかったです。それは彼が憎いんじゃなくて、彼に『ありがとう』って言って、ぶん殴りたかったです。本当に立ち上がれない自分が不甲斐なかったし、何とか立ち上がりたかったですね」 松岡さん
「今の高山さんにとって、一番ノーフィアー、ある意味恐れていることは何ですか?」 高山選手
「諦めちゃうことです。諦めて『もういいや。俺はこのまま死ぬまで寝たきりでいいや』って、そう思ってしまう自分が一番嫌です。いや大丈夫。諦めなかったら、ちゃんと自分の足でリングを降りられるようになるんだからっていうのを見せて終わりたいです」 松岡さん「様々なことを考えさせられた」 徳永有美アナウンサー
「鈴木さんと高山さんのあの試合、震えながら鈴木さんが『来いやー』って全身で言って、(高山さんは)もどかしい気持ちで。『本当は立ち上がって、ぶん殴ってやりたかった。ありがとうの気持ちで』という。あのリングにプロレスのすべてが詰まっていると感じました」 松岡さん
「まさにそう思います。僕は手を握らせてもらいながら話していた。様々なことを考えさせられました。ノーフィアー、恐れるってなんだろうって。一番怖いことは、自分の中の思いとか、目標をなくしちゃうことなんだなって。なぜなら、高山さんは戦ってますよ。はっきりとした目標に向かっている。ノーフィアーであり続けているからこそ、思いが伝わってくる。先ほどもありましたけども、今年も『TAKAYAMANIA』が行われました。少し違うのは、今年は涙というよりも笑顔が多かったというところがありますね」 大越健介キャスター
「しかし今年もその不自由な体でありながらも、戦ってるというのが見えますよね」 松岡さん
「高山さんのノーフィアーというのは、皆の思いに刻まれてます」

(「報道ステーション」2025年9月19日放送分より)

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