名門校の柱に成長した2年生
織田投手が一躍、全国的な脚光を浴びることになったのは、“甲子園デビュー”を果たした、ことし春のセンバツ高校野球です。

1回戦の立ち上がりでいきなり自己最速の152キロをマークし、「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔さんとも比較されました。
この大会では2年生ながら5試合すべてに先発して、チームの優勝に貢献しました。

夏の甲子園では、そこからさらに成長した姿を見せました。
得意の速球に加えてスライダーとチェンジアップにも磨きをかけ、3回戦までの3試合のうち、2試合で先発して完封。

1点を追う4回から登板した2回戦も、マウンドに上がったばかりの初球で152キロを出し、そのまま9回途中まで投げて相手に得点を許さず、逆転勝利を呼び込みました。
織田翔希 投手
「試合の流れを変えたいという思いで、マウンドに上がりました。自分のいつも通りのボールを投げれば打たれないと思って、キャッチャーを信じて投げました」
かつては“普通の小学生”
その織田投手の強気なピッチングの原点となった人がいます。

福岡県北九州市の少年野球チームで、かつて指導にあたった西 晃功コーチは、少年時代の織田投手について、当時から突出した力があったわけではなかったと振り返ります。

西 晃功コーチ
「ほかの子どもと、実力はあんまり変わらないような普通の小学生でした。言い訳をしない素直な子でした。今の活躍を見て、すごいピッチャーになったと思います」
恩師のことばを座右の銘に

織田投手は、子どものころから体の使い方がうまく、コントロールもよかったと言いますが、西コーチには、自分のピッチングに自信を持てず、ヒットを打たれるたびに弱気になってしまう姿が印象に残っていました。

そんな教え子に、あることばをかけました。
「自分に自信を持て」
織田投手が持つ素質を見込んでいた西コーチは、バッターに立ち向かう強い気持ちさえ持てれば、さらに成長できると信じていたのです。

織田投手は恩師のことばを大切にして、小学校の卒業文集にも「座右の銘にしたい」と書いています。
そのうえで自分に自信が持てるようになるまで、これまで以上にひたむきに練習に励むようになりました。
甲子園でも原点に
ことしの夏の甲子園でも、恩師のことばが生きた場面がありました。
三重の津田学園と対戦した3回戦では、織田投手が先発して6回まで無失点に抑えていましたが、3点リードの7回に3連続ヒットを浴びて、1アウト満塁とされました。
ホームランが出れば逆転という場面で、織田投手は原点に立ち返ります。

自分に自信を持って強気にバッターに向かっていき、得意のストレートをインコースに投げ込んでダブルプレーに打ち取って、この試合、最大のピンチを切り抜けました。

織田翔希 投手
「ピンチのときこそ強気でいることが大事だと思っているので、逃げずに勝負しました。あのような場面でインコースに投げきれるピッチングには、自信を持っています」
春夏連覇はならず 来年へ
春夏連覇の期待が高まってきた準々決勝で、織田投手は3回目の先発を任されました。

しかし立ち上がりから、県立岐阜商業の打線につかまり、1回にタイムリーツーベースヒットを打たれて今大会、初めての失点をしたあと、4回にも1点を失ってマウンドを降りました。

チームも延長11回まで続いた激戦の末に敗れ、春夏連覇の夢はついえました。
試合後の織田投手はタオルで顔を抑え、涙を流しながら、報道陣の取材に答えていました。
織田翔希 投手
「自分の甘いところが最後の最後に出たと思います。自分の失点がなければ負けることもなかったので、今はただただ悔しいです」
恩師のことばを原点に、ひたむきな努力で成長を続けてきた織田投手。
次は3年生となる来年へ、この夏はかなわなかった優勝、そして春夏連覇の夢に向けて、再び歩み始めています。
(2025年8月17日「サンデースポーツ」で放送)
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