パラリンピックに6大会出場し、計20個のメダルを獲得した競泳の成田真由美(なりた・まゆみ)さんが5日、肝内胆管がんのため55歳で亡くなった。通夜は13日午後6時、葬儀は14日午前9時30分から、川崎市高津区下作延6の18の1のかわさき北部斎苑で。喪主は姉・榑松(くれまつ)美由紀さん。

 成田さんは横断性脊髄(せきずい)炎のため、中学生の頃から下半身が動かなくなった。23歳の時に水泳に出会うと、水の中で自由に動けることに楽しさを覚えた。当時、障害を理由にいくつもの施設で練習を断られた。その中で受け入れてくれた横浜市内の施設を拠点に、力をつけた。

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 パラリンピックは1996年のアトランタ大会から2008年の北京大会まで4大会連続で出場した。北京大会後に一度現役を引退したが、東京大会開催が決まると現役復帰。東京大会には51歳で出場した。

 日本代表として計15個の金メダルを含む20個のメダルを手にした。その圧倒的な強さから「水の女王」と呼ばれた。競泳だけでなく、パラスポーツ界を代表する選手として活躍。東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの組織委員会では理事も務めた。

 競技外でも積極的に活動し、講演などを通じてバリアフリーの推進を訴えた。2016年に神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害される事件が起きると、リオ大会直前だったが献花に訪れた。

 日本パラリンピック委員会の河合純一委員長は、「突然の訃報(ふほう)に接し、まだ現実を受け入れられないでいます。パラリンピックがまだメジャーになる以前から、共に高め合ってきた同志でした」とコメントした。

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