「ひとり」が安心して暮らせる社会は?
高市早苗さんが憲政史上初めて女性の内閣総理大臣に任命された10月21日、私は国会議事堂の衆議院本会議場、傍聴席にいた。別に世紀の瞬間を目撃しようと高揚していたわけではなく、物見遊山で行ってみることにしたのだが、当日は傍聴人の行列ができて立ち見が大勢出るほど。任命の瞬間は場内が拍手に包まれたものの、拍手しない議員たちもいたし、私は狭くて硬い椅子でお尻をもぞもぞさせ、心は冷めまくっていた。
かくいう私は2023年、男女同数議会を20年以上も維持する神奈川県大磯町を取材した本を出版している。女性議員を増やしたい、その参考になればと願ってのことだ。私自身が「中高年シングル女性」で、男性稼ぎ主モデルを土台とし、女性には結婚がセーフティーネットとなるような日本の社会構造からこぼれ落ちてしまう属性にある。だから、切実なのだ。長年、生活困窮や、さまざまな困難に遭い続けてきた。「私のような『ひとり』が安心して暮らせる社会を築いてほしい」という願いを込めて、その本の中で「社会にある構造的な問題や概念を政治から根本的に正そうとする女性の政治家がいてほしい」と書いた。
果たして女性初の総理大臣が、私の願いをかなえてくれるのだろうか? 残念ながら、それは難しいと総理任命の前日には分かっていた。自民党と日本維新の会が発表した「連立政権合意書」には、経済対策はあっても労働政策は見当たらなかったからだ。
中高年シングル女性が抱える問題の根本に非正規雇用の多さや、賃金の安さがある。そもそも日本社会の停滞の要因だって、30年間まるで上がらない賃金に要因があるのでは?現在の中高年シングル女性の「中年」層は就職氷河期世代にドンピシャで、初職から非正規で、リスキリングをしても正規職に就けず、昇給も昇進もなく、「能力を生かす」前に「能力を期待されない」まま20代から40代、50代を生きてきた人が多い。私が女性の政治家に期待するのはそうした労働環境を変えることなんだけど、そんな気はさらさらないようだ。
裏金議員こそ「さもしい顔して」ではないか
また、高市さんと言えば2012年、保守系議員の研修会で「さもしい顔してもらえるものはもらおう。弱者のフリして得しよう。そんな国民ばかりじゃ国は滅びる。人様に迷惑かけない社会へ。もう一度、日本を奴らから取り戻そう」と発言している。生活保護の不正受給者のことを話したと弁明したが、生活保護の不正受給率は支給総額のわずか0.3%だ。ほとんどがケースワーカーの説明不足など手続き上のミスと言われているのに、国が滅びるとか、何をかいわんや。
しかも高市総理は、自民党の総裁選以降一貫して、自民党の「裏金問題」を終わったものとして、言及してこなかった。「さもしい顔してもらえるものはもらおう」とするのは、一体誰のことだ?と聞きたい。昨年の衆院選挙では立候補した「裏金議員」46人のうち、28人が落選した。国民は裏金問題にノーを突き付けたのに、派閥裏金事件の全容はいまだ解明されていないし、再発を防ぐための企業・団体献金の全面禁止も棚上げされてしまった。私は女性議員を増やしたいと言ってきたが、そういう政治をする女性を増やしたいわけじゃない。
でも、こういうことを言っていると「たとえ自分と思想信条が違っていても、一般家庭に生まれた女性が刻苦精励の末に、憲政史上初の女性総理になったのだから、その点だけは祝福するのが普通の感覚ではないですか?」(小説家・山口恵以子さんの10月24日のXへのポストの一部)と言われる。こういう意見も、分からないでもない。
特に「フェミニストなら応援しないでどうする?」って、Xで私へも見知らぬ人からポストが幾つも届いた。確かに私はフェミニストであるが、ことは総理大臣なのである。もし、これが「戦後ずっと高齢男性議員しかいない地方議会に女性が初めて当選しました」というのなら、よほどの差別主義者でもなければ、思想信条はさておいて祝おうという気にもなるが、国のリーダーとなれば、私たちの生活がかかっているのだ。
弱者は弱者のままで尊重される社会
さらに総理に就任してすぐに、高市さんは「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる」と宣言し、厚生労働大臣に「労働時間の規制緩和検討」を指示した。「連立政権合意書」に労働政策はなかったのに、出してきたのが、労働者を追い込む方向って…。長時間労働の影には常に女性の家庭内無償ケア労働がある。どうなっちゃうのか。
そのうえ、これまで政府が目指すとしてきた「新しい資本主義」の看板は下ろす方針だとか。ここでは、最低賃金を2020年代中に全国一律時給1500円にする目標を掲げていた。高市総理は、生活に苦しむ市民へのまなざしが欠けていると感じるので、この目標が後退するのではと心配だ。ただでさえ、物価高の今、単身世帯では時給1500円でも暮らすのは厳しいのに。
そんなことを言えば、また「自分の責任だろう?」と言われそうな今の日本社会だが、2019年の東京大学入学式の祝辞で、フェミニストの上野千鶴子さんが言った言葉で応じたい。
「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」
フェミニストであるからこそ私は、弱者が弱者であることが許されないような社会構造をさらに極める方向に政治を進める高市総理誕生を祝う気には、到底なれないのだ。
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