
日銀総裁を1937年夏から7年弱務めた結城豊太郎(1877〜1951)の郷土愛や素顔に学び、未来をどうひらくかを考えるイベントが出身地の山形県南陽市であった。結城の曽孫にあたる青木裕子・中央大学教授と日銀の川村憲章・山形事務所長が結城の人物像や経歴を紹介し、地域を活気づける方法を提言。80人を超える聴衆が耳を傾けた。
2025年は結城が図書館「臨雲文庫」を整備して90年、南陽市立結城豊太郎記念館の新館開館から30年になる。イベントはその節目を記念して市と市教育委員会が開いた。
青木氏は正しいと思う意見を述べつつ、他人とも親しく交わって考えを聞き、自分の考えを磨いていくという気風を結城から学んだと紹介した。そのうえで「老若男女を問わず学んで議論し、出てきた様々な意見を吸い上げて問題解決のヒントを探ることがとても大事だ」と指摘した。
環境問題と折り合いながら国内外の人を魅了する山形や日本をつくるため、「古い建物や落ち着いた景観を生かして『まちの品質』を高めることが有効だ」とも説いた。

結城は日本興業銀行総裁や商工組合中央金庫理事長、蔵相なども歴任した金融界の重鎮だった。同時に上水道敷設などに私財を投じ、生まれ育ったまちにも貢献した。
川村氏は結城の教養・見識や功績とともに、そうした強い郷土愛に注目。「ふるさとは国の本なり」という結城の信念を表す言葉を引用し、「現在の地方創生の起点だと言える」と解説した。そして「地域コミュニティーや家族のため、自分が誇りに思えることを実際の行動に移すことが100年先につながる」と力を込めた。
青木氏と同じく曽孫である東京の結城家当主・晋吾氏はイベントに直接参加できなかったが、餅が大好物だった結城にちなんで参加者に紅白の大福餅を振る舞った。

修繕を経て、25年春に装いを新たにした記念館表門の竣工式典も開いた。もともとは1930年の金本位制復帰とそれに伴う緊縮財政に命をかけた井上準之助(1869〜1932、現在の大分県日田市出身)が東京で住んだ屋敷の門だ。日銀の先輩かつ同志を敬愛していた結城が井上がテロで倒れた後に遺族から譲り受け、自らの故郷へ移築した。
表門は近年傷みが目立っていた。そこで南陽市がふるさと納税の仕組みを生かしたガバメントクラウドファンディングで資金を集め、威風を取り戻した。白岩孝夫市長は「この門を後世に残し、古里を心から愛した結城先生の思いを広く伝えていきたい」と話している。

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