パレスチナ自治区ガザでの停戦は17日、発効から1週間を迎えた。ガザでは現地のジャーナリストたちが2年間、危険と隣り合わせのなかで惨状を伝え、約200人が命を落とした。米ブラウン大ワトソン研究所は4月の報告書で、ジャーナリストの死者数が2度の世界大戦やベトナム戦争、米同時多発テロ後のアフガニスタン戦争などを上回るとし、「記者にとって史上最悪の戦争」と指摘した。

写真・図版
2025年8月10日のイスラエルの攻撃で死亡したアルジャジーラのジャーナリスト。写真は2024年8月、パレスチナ自治区ガザ市で取材の活動をしていたときの様子=ロイター

 ガザで取材にあたってきたパレスチナ人の男性記者(42)は朝日新聞の電話取材に「2年間で多くの記者仲間を失ってきた。彼らがその犠牲を払って報道したガザでの殺戮(さつりく)、破壊、飢餓の状況が世界を動かし、停戦につながったのだと思う」と語った。

 戦地での取材活動には色々な障害がある。交通手段や燃料がないだけでなく、自宅がイスラエル軍の攻撃を受けたことで、カメラやパソコン、携帯電話も壊れた。買い替えようにも、物価が高騰している。イスラエルがガザへの物資搬入を制限したことによる飢餓も深刻で、戦闘開始前に82キロだった体重は57キロまで減ったという。

 男性記者は「現場で取材すれば、イスラエル軍の攻撃の犠牲者の多くが子どもや高齢者、女性ら民間人だと分かる。イスラエルは、それを世界に暴露するジャーナリストに恐怖を植えつけ、取材をやめさせたかったのだろう」と話す。

 ガザ当局によると、イスラエル軍のガザ侵攻が始まった2023年10月7日以降、ガザで死亡したジャーナリストは255人。国際NPO「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ)は10月16日までに、ガザ、イエメン、レバノン、イランで少なくとも237人のジャーナリストらがイスラエルによって殺害されたとしている。うち197人はガザのパレスチナ人が占める。

写真・図版
パレスチナ自治区ガザ市内で8月11日、イスラエルの空爆で亡くなったアルジャジーラの記者の葬儀が開かれ、パレスチナ人たちが祈りをささげた=AP

 イスラエル軍は「故意にジャーナリストを狙うことはない」としているが、ジャーナリストを殺害した後に、「テロリストだった」と主張することもある。8月10日にガザ市の病院近くのテントが攻撃され、中東の衛星放送局アルジャジーラの記者ら4人が死亡した際、イスラエル軍はうち1人について「記者を装っていたテロリストを攻撃した」とした。

多国間連合、ジャーナリストの保護求める声明

 ジャーナリストの保護などに取り組むための多国間連合「メディアの自由コアリション」は8月21日、イスラエルに対してガザで活動するジャーナリストの保護を求める声明を発表した。日本政府を含む29カ国が署名し、「ジャーナリストは戦争の壊滅的な現実に光を当てる上で不可欠な役割を担っている」と強調。ガザでのメディア関係者の死者数が極めて高いことを指摘し、「ジャーナリストへの意図的な標的攻撃は容認できない。メディア関係者へのすべての攻撃についての調査と責任追及を求める」とした。

 しかし、8月25日にはイスラエル軍のガザ南部ハンユニスのナセル病院への攻撃で、AP通信やロイター通信、アルジャジーラなどで働いていた記者5人を含む少なくとも20人が死亡した。イスラエル軍は、攻撃で6人の「テロリスト」を殺害したと発表した。そのなかに記者5人は含まれていなかった。

 CPJは「銃火を浴びるなかで報道はできない。ジャーナリストが問答無用で殺害されれば、真実は死ぬ」などとし、国際的な調査団による独立した調査を求めた。

本社、イスラエルに「記者への攻撃許されない」

 朝日新聞のガザ通信員だったムハンマド・マンスールさん(当時29)も、ガザで犠牲になったジャーナリストの一人だ。3月24日、ガザ南部ハンユニスの自宅でミサイル攻撃を受けて死亡した。イスラエル軍は当初、朝日新聞の取材に「空軍が24日にハンユニスと(最南部)ラファで、(イスラム組織)ハマスと(別の武装組織)イスラム聖戦の数人のテロリストを狙った空爆を実施した」と回答したが、マンスールさんを狙った攻撃かという質問には答えなかった。

写真・図版
パレスチナ自治区ガザから報道を続けてきた、朝日新聞のムハンマド・マンスール通信員

 しかし、軍はこのほど、取材に対し、マンスールさんを殺害した事実を認めた。マンスールさんが「(武装組織)イスラム聖戦の勧誘員で、ジャーナリストを装っていた」などと主張している。

 だが、マンスールさんは、外国メディアが独自に入ることが難しいガザの現場から、ジャーナリストとしてたくさんの情報や映像を送り、戦時下に生きる人々の日常や表情を伝えてきた。朝日新聞は在日イスラエル大使館を通して、イスラエル軍と同政府に対して「軍の主張は受け入れられない。ジャーナリストへの攻撃は決して許されない」と抗議を申し入れた。

 マンスールさんは、ガザでの人道支援などに取り組む日本のNPO「地球のステージ」に所属していた。大学時代にメディア学を専攻し、ジャーナリズムへの熱意から、桑山紀彦代表理事からの紹介で、ガザへのイスラエル軍の攻撃が本格化した23年10月に朝日新聞の通信員となった。

 マンスールさんの父親は朝日新聞の取材に対し、「ムハンマドは少年の時からジャーナリストになることが夢で、ガザからのメッセージを世界の人々に届けたかった」と話している。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。